わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)19

 

 

朝から晴れて爽やかな陽気。洗濯日和。風がなく穏やか。乾燥がこれから気になってくるから、加湿器を出して。もう指先はカサカサになりはじめてスカーフに引っかかりを覚えたり、紙で切れてしまうことが多くなった。ハンドクリーム必須。

 

 

 

最近タイトルを考えるのが面倒で、よもやま話にしちゃってる。これ!というのがあればそのようにすればいいや。人目を引くタイトルをつけることが目的ではないからね。アロマオイルを枕元に置くようにした。安眠対策。

 

 

 

香りが強すぎると頭痛がするので、時々ふわりと香るのがいい。気づくとダウナーになるようにしている。それだけ緊張が強い。ハーブティーにしろアロマにしろ、緊張をほぐすようなものを選んでる。こうしている今も肩に力が入っているってハッとなる。

 

 

 

気分を上げるより、落ち着かせるものを。もともとダウナー気味のほうが心地よい。周りに合わせて気分を上げようとすると後がしんどい。ノリが悪いと言われようが、合わせる気はない。合わせてほしいなら、そうしてくれる人を選んでもらえればいい。わたしじゃなくていいでしょ。

 

 

 

少し前までは周りに合わせなければって思ってたけれど、今は自分を曲げてまで合わせるのはやめようと決めている。そうするとむやみやたらに人は近寄ってこないし、心地よいダウナー気味でいられる。人の中にいると、どうしても反応してしまうからね。

 

 

 

人であろうとするから難儀する。人でなくていいや〜ってなると気持ちがラク。そういかないこともあるけどね。そっちのほうが多いかな、実際。それでもそこに気づけば立ち還ることができる。立ち還るとまたラクになる。ああ、これこれ、この感覚ってね。

 

 

 

いつでも同じようでありたいと願うけれど、そうならなくても仕方ないなぁ。だって反応するんだもの。立ち還りたければ、自分でそうなるようにすればいい。立ち還ることがその時にできなくてもいい。そういう時期なのだから待とう。

 

 

 

そうやって自分をゆるしていると、これまで見えなかったものが見えてくるように感じる。ボタンひとつの掛け違いで、たくさんの摩擦が起こることとか。そしてそれを認識できる状態にない人が多いこともわかる。欠乏感がそうさせる。

 

 

 

自分が満たされることに必死だから、見る余裕がないんだよね。満たされなくても大丈夫って腑に落ちればいいのだけれど、残念ながらそういう人は少ないみたい。満たされなさ故に社会は発展してきたのだしね。そして今日もわたしは流れに任せて過ごそう。