わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)76

 

 

腹が立った。今から思い返せば些末なこと。だがわたしには自分の領域に無断で入ってこられた感じがして不愉快だった。わたしが頼まれている仕事の一部に相手が(良かれと思って)手を出した。相手の都合を満たすついでに用意したらしい。

 

 

わたしから見れば内容に不備があり、手を出すなら責任を以て最後までやってほしいし、まず、わたしに許可を求めてほしかった。気軽な気持ちでやっただろうから、わたしの怒りはびっくりしたことだろう。なぜ怒っているのか理解できていない様子だった。

 

 

そうだろうな。と思う。だってわたしのことは一切見ていないもの。だからわたしを見てというのはただのわたしのわがままだ。わたしの領域に無断で入った(自分に危険が及んだと感じた)から怒ったのだが、相手は気づいていないし、知ろうともしていなかった。

 

 

それはわたしの相手への勝手な期待であって。求めすぎてしまったのだろうと今は思う。そしてわたし自身への期待と裏切りだったのだろう。ささくれがちな時期なのも、他に心配事があったのも影響したかもしれない。わたしのココロに余白がなかったのだ。

 

 

わたしは、そんな自分を労ることにして、好きなだけ湯船に浸かってみたり、部屋に籠もってWeb小説を読み続けてみたり、何もせずボーッと目を閉じてみたり。こうしてPCに向かってブログを書いたりしている。

 

 

連休で良かった。労る時間が充分に与えられたと感じる。時間を気にせず好きなタイミングで好きなことを好きなだけできるのは贅沢だ。それに自分を振り返る時間でもある。どうしても相手を非難しがちな思考や感情があるのがわかり、自分の怒りを正当化しようとしていた。

 

 

誰かに同意を求めたい気持ちも少しあったが、解決にならないし、自分の問題を他者に預けるようなものだから、誰にも話さず引き籠ることにした。怒りを抑え込もうとしている自分もいて、でもそんないつでも怒らないでいるなんて難しいことだと思い直す。わたしは未熟だ。

 

 

些末だと何処かで思うのに、それを見過ごせない。些末じゃなく重要だったのだろう。相手にそのつもりがなくても、自分の領域を脅かされるのは恐ろしい。恐ろしかったのだと感じたと認識すれば、時間がかかってもだんだんと落ち着きを取り戻せる。

 

 

感情の揺れから戻るには、特に怒りからは時間がかかる。それだけ揺れ幅が大きいのだ。だからあまり揺らしたくはないが、それ故に揺れが大きいのだろうとも思う。押さえつけようとしているから、反動もあるし、余計にね。

 

 

歩み寄る気もないくせにその相手にやたらと反応する自分も許しがたい。それも相乗効果で余計に揺れたのだろう。厄介だな。と自分で思う。だがそれがわたしで。どうしようもなくわたしなのだ。そんなわたしだから、こうして居られるのだろう。これもわたしがわたしをゆるすための作業なのだ。