わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

大切にされていないならわたしが大切にすればいい

 

ブログをお引越ししただけなのに、なんだかブログを書くのにちょっとドキドキしています。書くことに変わりはないのに、場所が変わるとこんなにも緊張するものなのか。。。回数を重ねれば気にならなくなるのでしょうね。

 

 

さて。今日の本題。

 

 

職場には神棚があります。毎年年末にしめ縄を変えるのですが、毎回社長ご希望の大きさとは違うものを職員が買ってくるので、社長が毎回ご立腹というのがここ数年の恒例です。ただ買ってこいと言うだけで具体的な指示がないからなのですが。

 

 

その神棚、年末年始だけ注目されて普段は放ったらかし。榊をいつも気にかけて世話してくれた人が退職してさらに放ったらかしに。手を合わせる人もいるのかいないのか。大切にされていないなぁといつも感じていました。

 

 

誰も大切にしないから、大切にされない。大切にされないと感じているのはわたし。だからわたしが大切にすればいいじゃない。って気づきました。わたしが大切にしていないのに、誰かに大切にしてもらいたいってなんだかとてもずるい。反省…。

 

 

神棚を大切にしたいのはわたしで他の人じゃない。誰も大切にしなくても、わたしが大切にすればそれでいい。手始めに、1と15の日にこだわらず榊を新しくして。容れ物もずい分汚れていたのでキレイにして。青々とした榊を供えれば気持ちも清々しい。

 

 

出勤したら手を合わせることも忘れないようにして。お水も入れ替えるのを忘れないように。始めたばかりで忘れてしまうこともあるのですが。誰かがお水を替えてくれることもあるから、まったくの放ったらかしではないのかもしれませんね。知らないところで手を合わせる人がいるのかも。

 

 

 

まずはわたしが大切にするという姿勢を示す。わたしが大切にしたいのだから。わたしが大切にしたいと思うものを大切にする。誰がどうではなく。

 

 

 

神棚を大切にしようと思うのは、日頃のできごとでいろいろと感じることがあるから。小さなことだけれど、その積み重ねが今の職場の状況を作り出していて、憂いでもあるしそこから何を学ぶかでもある。

 

 

 

今、わたしの職場は少し傾いているように感じています。働く人の気持ちがバラバラになっていて、組織としてまとまっていない。そういうところが神棚を放ったらかしにすることにもつながっているんです。

 

 

 

だからね。わたしは神道を信仰しているわけではなく、大切にしたいと思うものを大切にする手段として神棚に手を合わせるのです。