わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

会社を経営すること〜「核」について〜



今の勤務先にお世話になるようになってから、経営ってなんだろうって考えるようになりました。小さな会社なので誰がどう動いているのか、わりと見えやすいというのも一因かもしれません。そしていろいろ考えさせられ、学びがあります。



今日のテーマは「会社を経営すること」です。わたしは会社を経営した経験はありません。会社経営の経験がないやつに経営の何たるかがわかるか、なんて言う人もいるかもしれません。でも、わたしは「わたし」を経営しています。だから経営者です。そう、誰でも経営者。だから書きます。それでは、本文へどうぞ。





前回の記事でもちょっと触れましたが、会社は自分がいただいた恩恵を社会へお返しするためのしくみです。誰かの所有物ではありません。経営者の仕事は、しくみを整え恩恵を社会へ循環させることです。そのしくみを支えるのが、会社で働く人たちです。その人たちがいなければしくみは回らないので、働く人たちは会社の大切な財産です。




しくみをどのように回していくのか、つまりどんなふうに恩恵を社会へお返ししていくのかいつでも誰にでも見えるようにしておくことで、働く人たち、お客さまを支えていくのが、経営者なのです。その過程を見える化したもののひとつが、売上などのお金の流れです。


でも、お金の流ればかりに目を向けがち。




あるとき勤務先に税務調査が入りました。「もし税務調査の人に〇〇について尋ねられたら▲▲と答えるように」と言われましたが、それは実際にはしていないことでした。また、過去にも税務調査が入ったことがあるようで、経営側は調査で見られたくない書類を一生懸命隠していました。




それがとても心地悪かった。もし〇〇について尋ねられても、▲▲と答えたくないと思う自分がいたのです。グレーな部分、あいまいにしておきたい部分ってどこにでもあると思います。わたし自身もそうしておきたい部分がありますから。




でも、やってもいないことを「やっている」と言うことはできないなってその時は思いました。自分のその気持ちをねじ曲げるのがとても嫌だったのです。それで経営者の不興を買って、首を切られたとしてもそれは言えないって。




そこから、数字上の経営状況を知る機会ってないな、と気づきました。それまで勤めていたところは、内容を理解できるかどうかはともかく、決算内容は職員に公表されていましたし、経営方針についても年頭で話があったりしました。今の勤務先、ない。





どうして税務調査が入るのか、当然説明もない。やましいことだらけなのかしら?って疑問を持ちます。これも前回の記事で触れた「せっかく得たものを奪われる」「取り分が減る」という感覚が経営者にあるからかもしれません。これもね、「核」がないからだと思うのです。





「核」はあるのかもしれません。でも、経営していくうちに、お金を追ううちに覆い隠されてしまった。会社を自分の所有物だと思っている。(職員もほぼ皆、会社は経営者のものだと思っていて、疑っていない。というより、考えが及んでいない。)




同業他社が不渡りを出したとき、経営者が「やった!仕事が流れてくる!忙しくなるぞ!儲かるぞ!」って意気揚々と話す姿はとてもさみしいものでした。空っぽな感じで。。。確かにお仕事がいただけるのはありがたいことです。けれど、その陰にあるものを忘れてはいけないとわたしは思うのです。




「三粒に種」ということわざがあります。一粒は空を飛ぶ鳥のために。一粒は地の中の虫のために。残りの一粒は人間のために。今こうしていられるのは、多くのおかげがあってのこと。それを忘れてはならないという意味です。




このブログでは何度もくり返し書いていますが、多くの支え、手助け、いのちの上にわたしたちはあります。人だけではなく、他の生き物たちに支えられています。そしてわたしたちも他の生き物の支え、いのちになる。これは、わたしの「核」です。その「核」に従ってわたしは「わたし」を経営しています。





会社も同じ。「核」がどこにあるのか見極めないと、どこへ向かうのかわからなくなります。