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会社を経営すること〜核と働く人たちについて〜



前回の記事では、経営の核について書きました。経営の核とは、「理念」と表現をするのが一般的ではないでしょうか。今日はその続きで核と働く人たちのことについて書いていきます。それでは本文へ。




仕事や会社は自分のいただいた恩恵を社会へお返しするための手段・しくみです。働く人たちはそのしくみを支える会社の大切な財産です。儲けを生み出す機械や道具ではありません。道具だと勘違いしている人は経営者だけでなく、働く人たちの中にもいます。




働く人たちと経営者は会社のしくみを維持するための役割であって対等の関係です。しかし、その役割=自分の価値と勘違いしている人はとても多い。だから相手が自分より上か下か決めようとしたり、自分の価値を維持しようと躍起になります。




緊急事態宣言が発令される直前、あることが気になって3箇所くらいに似たような問い合わせをしたんです。3箇所のうち2箇所はろくすっぽ話を聞かず「対応していません」「他にそういう問い合わせはありません」という対応でした。




残りの1箇所はどういう事情があるのか尋ねてきて、対応できるか調べてから返事をしてきました。そこは、ニュースで大々的に報道されるような不祥事があり、今は再起する途中です。だからこそ、というのもあったかもしれませんが、その対応を真摯だとわたしは感じました。




でね。前出の2箇所にはすごく憤慨して契約解除したりしたのだけれど、今から考えてみれば対応した人は余裕がなかったのかもって思うのです。自分からも会社からも大切にされていないのかなって。日本中がピリピリムードだったからなおさら。




大切にされていない人は誰かを大切に扱うことも難しい。自分にも会社からも大切にされていないから、お客さまを大切に思えないし、扱えない。道具のように扱われれば、同じように誰かを道具のように扱うのです。お客さまを大切にしたいのなら、働く人たちを大切にしないとどちらも離れていくでしょう。




経営者にとって必要なのは、その先にいる人たちのことまで目を向けてものごとを判断することです。お客さまの先にいる人、働く人たちの先にいる人。そのための道しるべが「核(理念)」です。





会社=自分になっている経営者は、自分のやり方が経営のすべてであり、自分の考えるとおりに動くことが働く人たちの仕事だと思い込んでいます。その経営者にとって働く人たちは自分の道具にすぎず、「人」ではない。だから使えなくなったら次を用意すればいいと考えます。





働く人たちを道具扱いしたしくみでは、恩恵をお返しするどころか吸い取るだけのものになります。(わたしの仕事・会社の目的が「自分のいただいた恩恵を社会へお返しするため」であり、その考えに基づいて記事を書いていますが、それが目的の会社・仕事もあるでしょうし、それが悪いとはいえません。そうやってきた経営者も数多くいるでしょうし、それでいいという働く人たちもいるでしょうから。)





いずれにせよ、経営の核(理念)をどこに置くかで、会社・仕事・働く人たちのあり方は変わっていきます。S・コヴィー氏の「7つの習慣」のことばを借りれば、「原則」がどこにあるか、です。どこに重きを置くのか、なにを大切にしていきたいのか、ときには核を振り返ること、修正をしていくことも重要です。