わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)151

 

 

爽やかな朝だ。日中は真夏並みの気温になるらしい。爽やかな季節は極端に短くなった気がする。夏か冬か。温暖化のおかげか。

人の思考もゼロか100かの2極化しているし、関連があるのかもしれない。

 

 

配慮されて当たり前、優遇されて然るべきがにじみ出るから嫌がられるのだろうと思う。互いの正しいを押し付け合って不毛だなと端から見て思う。

こういうわたしの態度も気に入らないのだろうけど。あいにくそこに加わる気は微塵もない。

満たされなさを周りで補おうとすると、余計に辛くなる。わたしを満たせるのはわたしだけ。

 

 

どうすれば良くなるか、スムーズになるか?を考える。自分ひとりではできないことが多いので、尋ねることやアドバイスをもらう。

自分たちが使うものだから、自分たちで創るのが当然だとわたしは思うが、創ってもらうものだと思う人もいる。

わたしは大きな障害を取り除いて道を均すのが自分の仕事だと認識しているがそうでない人の方が多いのだろう。道は均されていて当たり前、なのだ。

 

 

これはわたしの糧になると思う。助けられながらも1つずつ障害を取り除いていくことは、この先進むための力となる。

大変ではあるけれど、小さくも解決を積み重ねていくことは成功体験だ。「できた」「やり遂げた」と感じられることは、充足感を与える。

誰もが他人事だと思っていることをわたしが引き受けたのは自然なことかもしれない。

 

 

お膳立てされて当たり前な人には、1つずつ構築するのは大変な負担だろう。そこで何を学ぶかはその人次第。

とはいってもお膳立てされているから能力を発揮できる人もいる。適材適所なのだろう。

与えられた環境にどう対処するか、だ。

不機嫌を振りまくのか、黙々とこなすのか、その人の姿勢次第。

 

 

休日出勤をした。誰もいない職場で1人集中して仕事ができた。

気づけば退勤時間間近で、いつになく充実感を味わった。

電話は鳴らないし(鳴っても無視するけど)、わたし以外の人の気配がなく気を削がれることもない。実に快適だった。

普段いかに周りに影響されているのか、よくわかる。

とはいえ、自分ひとりで仕事が成り立つわけではない。

周りがあって成り立っている。

 

 

冷蔵庫が空っぽだ。空っぽにした。

今日は食材を買いに行こう。昨年作った梅ジュースはもう処分して、冷蔵庫のスペースを作る。

いつ飲むともしれないアルコールも処分しよう。古い調味料もだ。

使わないものをいつまでも取っておいても仕方ない。

 

 

連休は不要なものを処分するチャンスだ。

あ、草むしりしないと。