わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

働くこと・仕事・会社について考えてみる



COVID-19の感染拡大による影響で、自分がどうありたいかを考えその結果、働き方に考えが及んだ人は少なくないでしょう。職を失った人、収入が減った人、何かに駆り立てられるように感じる人。COVID-19はわたしたちに立ち止まって考える機会を与えてくれました。



考えるだけでもとに戻る人、そこから行動する人、行動してまた戻る人、それぞれいるでしょう。そこで今日は、働くとは?仕事って?会社とは?ということについて書いていきます。お金を稼ぐとか、カンタンに儲かるとかをお求めの方の参考にはなりませんので、あしからず。そういう方々はここへたどり着かないでしょうけれど。では、本文へ参りましょう。




働くとは、自分がいただいた恩恵を社会へお返しすることです。会社と仕事はその手段。恩恵をお返しするためのしくみです。税金もしかり。多くの人は、税金が自分の収入の一部を「吸い取る」「奪う」もののように感じているかもしれません。わたしもそうでした。何で勝手に持っていくんだって。



仕事を変えて収入が半分以下に減ったときに来た税金の額に我が目を疑いましたもの。いや、今の収入では払えない。払うものは税金だけではなかったので、なおさらでした。搾取されている感がとても強かったです。この状況で払えっていわれてもない袖は振れない!って。



今は、それだけわたしは恩恵をいただいていたのだと感じています。その恩恵は当たり前ではなく、ありがたいことなのだと。税金という形で恩恵を社会へお返しできるなら、喜んでお支払いしましょうってなりました。ほんとに思考が真逆になって、自分でもおもしろい。払えない状況を乗り越えたからかもしれませんね。





わたしはちょうどバブル崩壊のあおりを受けた就職氷河期世代にあたります。ロストジェネレーションとか言われましたっけ?勝手にロストしないでくださいよ、もう。就職難でしたので、確実に食いっぱぐれのない仕事がよいと医療職の道を選びました。




その頃のわたしにとって、働くとは「安定した収入を得ること」でした。そうすれば不満のない生活が待っていると思っていたのです。お金さえあれば自由だ。って。不満だらけでしたから。





でも、働いてお金を得ても満足できなかった。どこか渇いていて、足りないっていつも感じていました。選んでしまった以上、続けるしかない、それしか選択肢がない、いつか慣れるって無理やり言い聞かせて自分に我慢を強いていました。





子どもの頃から自分を抑えて我慢することが当たり前だったので、仕事もそうするものだと。より良い環境を求めて職場を変えても、いつまでも満たされずにいました。まるで出口が見つけられず同じ場所をぐるぐると歩き回っているよう。





確かにそれまで食いっぱぐれることはなく、生活はいつも何とかなっていました。家族もいるし、稼がないとってそれだけでした。でもね。体調を崩した時に思ったんです。「こんなに自分がボロボロになる仕事をこれ以上続ける必要ないな」って。





何でも手っ取り早く済まそうとするのはわたしの悪いクセです。何の装備もなしにマリアナ海溝からエベレストまで高速で一気に昇りつめようとしてしまう。冷静に見れば、冷静じゃなくともそれ無謀でしょ。って思うことを成し遂げようとしていました。いきなり起業しようとしてみたりね。





「核」がなかったんですよね。何をするにも。だから無謀なことにトライしてはつまずいてすぐ諦めるをくり返していました。そのくり返しが「核」に気づきなさいというサインだったのかもしれません。くり返してようやく自分がどうありたいか、働くとは?仕事って?会社とは?のわたしの答えが出てきたから。





でね。その答えって変わるんです。だから「必ずこうであるべき」よりも、「今はこう感じるなぁ」というものを大切にしていけばいいんじゃないかなぁと思うのです。それが「食いっぱぐれなければいい」でも「より豊かになるため」でもいいんです。誰かと答え合わせすることもないです。





誰かに指示してもらって動くのが心地よい人もいるだろうし、自分で決めて動きたい人もいる。押し付けたがる人も、他人を蹴落としたい人もいる。正しさよりも、自分が感じることに重きを置くと、心地よい働き方とか、仕事のしかたって見えてくると思います。それは状況や環境によって変わっていく。





そしてその時その時の自分の感じることに従って考え方や仕事のしかたを変えていけば、心地よさは続いていきます。