わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

いつ死んでもいいように身のまわりを整えながら日々を過ごす



タイトルにドキッとした?

いつ死んでもいいって一体何があったの?終活でもするの?深刻な悩みがあるの?って。



死にたいと思っているんじゃあないですよ。終活ではないけれどそれに近いことは少しずつ始めています。追いつめられるような深刻な悩みは今のところありません。じゃあどうしたの?というと、人はいつか必ず死を迎えます。死ぬとどうなるかなんてわかりませんが、その時に持っているものはすべて手放します。財産や社会的地位はもちろん、肉体も自分という意識も。



いずれやってくる死。その時がきたらためらいなくすべてを手放せるようにしておこう。きれい。さっぱりね。というのが今日のテーマです。え…。ちょ、重…。って感じるかもしれないけれど安心してね。いつ記事を閉じても大丈夫ですから。では本文へお進みください。


死んだらすべてを手放す否が応でも



菜根譚にはこんな文章が記されています。


忙処に性を乱さざらんとせば、須らく間処の心神は養い得て清らるべし。死時に心を動かさざらんとせば、須らく生時の事物は看得て破るべし。

---- 中略 ----

[訳文]
忙しい時にその本性を乱さないようにしたいと思うなら、ゆったりとした時の心持ちは清く養っておく必要がある。また、死ぬまぎわになってその心を動揺させないようにしたいと思うなら、生きている時の肉体のあり方をきちんと見破っておく必要がある。

菜根譚 全訳注 / 洪自誠 中村璋八・石川力山=訳注 / 講談社学術文庫 P295〜P296より


今日の伝えたいことってほんとこれ。そのままです。



死んだらすべてを手放すんです。嫌だといってもあの世へ持っていけるものは何もありません。「自分」というものも。当たり前なんだけれど、それを強く意識することってあまりないんじゃないかな。自分がいよいよ死ぬという立場になってようやくわかることかもしれません。




身近な人や家族が死んだ、または死期が近づいているなど死を近くに感じても、失った・失う悲しみのほうが大きくて気づかない。いいえ、悲しいから知りたくないのかも。




わたしが思うに、肉体や自分というものは、この世で生きるためにこの世からお借りしたものだから、死ぬ時はこの世へお返しするんです。あの世へは持ち込めない。お返ししたものは、また新たな生命の土台になり、姿・形を変えてこの世をめぐるのです。




だから今あるものにあまりしがみつくことないんです。いつかこの世にお返しするのだし。あまりたくさんのモノを抱えていると死ぬ時に手放すのが大変でしょ?あなたも残された人たちも。そうしたらいつ死んでもいいように、いつお返しする時がきてもいいように身のまわりを整えて日々を過ごそうと思うのです。




とはいえ、人は手放すことをとても恐れます。今あるものを守りたいから。このあたりのことは(COVID-19と知人の死から見えた人がもっとも恐れるもの)という記事も参照してみてください。



身のまわり整えるためには



身のまわりを整えるためには、まずは自分はいつか死ぬ、この世にお返しするものだということが腑に落ちていたほうがつまずかないというか、スムースだとわたしは思います。もちろん、身のまわり整えながら日々を過ごすうちに自然に受け入れられるようになる場合もあるでしょう。



いずれ死んですべてを手放す、がベースになり、その上で「何を大切にしたいか」を知ることから始めます。損得で考えるのではなく、自分のココロの声に従います。飾らない自分でいたいとか、誠実でいたい、とかあなたがどうありたいかをはっきりさせると、何をどうすればいいかおのずとわかってきます。



わたしの場合は、「自由にも縛られることにも囚われないでいたい」「身軽でいたい」ので、まずモノを減らしました。服や本などをリサイクルに出したり、人にあげたり。書類をスキャンしてデジタル化したり。一度にすべてを済まそうとすると大変なので、少しずつ。今日はこの引き出しの中を整理する、など決めて取り組みます。




服は毎朝どれにしよう?とコーディネートに悩まないようにバリエーションを減らしました。同じ服を何枚も揃える、とか。毎日同じ服装にすれば選ぶ必要もないですし。周りがどう思うかなんてどうでもいいことです。夜はひとりでゆっくりと過ごしたいので、よほどのことがない限り誰かと会ったり、イベントに参加するなどはしません。




SNSは見る時間を決めました。スマホに時間制限を設定してそれ以上は見ない。時間帯もだいたい朝に限定しています。SNSからの情報を見逃しても特に困らないですよ。反応がないからとフォローや友達を解除されたとしても、その程度のつながりなだけです。むしろ煩わしさが減ったとありがたくなります。




…とまぁ、書き出してみると我ながらちょっと極端?とも思うのですが、さっぱりして心地よいです。これらのことは同時期にスタートさせたわけではありません。が、COVID-19の感染拡大による影響だったりします。自分のあり方について深く考えさせられましたから。(参照記事:COVID-19と知人の死から見えた人がもっとも恐れるもの




あ、気になるお金のことに触れていませんでしたね。身のまわりを整えるのにお金に関わることも当然含まれます。このあたりは終活に近いところがありますが、銀行口座のことやクレジットカードのことなど、整理できるものはしておきたいものです。借金もね。




死んだらあの世へお金は持っていけないですし、残された人たちが手続きなどで困らないようにエンディングノートとまではいかなくても、ざっくりとノートに書き留めておくとか、ね。「もしもの時にこれを見てね」とわかるようにしておくといいですよ。




おわりに



いつ死んでもいいようにってドキッとしたかもしれませんが、いつか死ぬとわかっていれば、日々をどう過ごしたいか考えます。事件・事故に巻き込まれる、病気になる、ハチに刺されるなど、いつどこでどのように死を迎えるかはわかりません。




いざ死ぬというときに未練がたくさん、後悔がたくさん、「あれもしたかった」」「これが心残りだ」となるより「これまで充分楽しんだよ。ありがとう!」で終わりたいです。では、最後までお読みいただきありがとう!