わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

互いの影響が重なり合って人は磨かれる




自分のまわりの人や環境は、自分を磨く機会を与えていて、自分自身もまた誰かの学び・成長の機会になっているのかもしれません。それは決して良い印象のものではないことから始まる場合もあります。今日のテーマは互いに影響しあっている、です。




あるコミュニティ内でメンバーのプレゼンを聴く機会がありました。ひとり20分程度のプレゼンに対し、聴衆全員がフィードバックをしていきます。その中で、わたしには何を伝えたいのかよくわからない内容の発表がありました。わからなくてごめん…でも、わからない。




そのプレゼンの場のコンセプトのひとつに「相手のための言いにくいこともあえて言う」があります。それがあったからではありませんが、わたしは「わたしにはあなたの伝えたいことがわからない」とストレートにフィードバックをしました。他の聴衆は、やんわりとことばを選んでいたのですが…





わたしの直後にフィードバックをした人は「すっげーわかりやすかった!」と返していました。そこでね、かっちーん!ときたんです。この人、わたしにケンカ売ってるの⁉って。ココロの中に大きな波風が立ちました。





自分の気持ちを落ち着かせようと必死でしたが、波風はおさまらない。しばらく引きずりました。でも相手はそんなこと気づいていません。覚えてもいないだろうし、ケンカを売ったつもりもないでしょう。ケンカを売られたと感じたのはわたしだから、相手ではなくわたしの受け取り方の問題です。





わたしにはわからないと感じたことが、自分の中でゆるせなかったのです。ほんとはわかりたかったから。プレゼン内容がわからなかったわたしに、わたしが傷ついた、そのことがゆるせなかったのです。だから「すっげーわかりやすかった!」という発言がわたしの傷を刺激して、かっちーん!としたのです。






怒りって不都合な自分に対しての感情なんです。誰かを責めるのは、自分を責めることです。侮辱されたと怒るのは、ココロのどこかに自分を侮辱する自分がいるから。そしてそれに傷ついている。だからね。最優先されるのは、誰かを責めるのではなく、傷ついている自分に気づいて自分をゆるすことなのです。





そう気づくと、いけ好かない相手の言動や行動も自分を振り返る材料になります。かっちーん!ときたり腹を立てたその時は、その感情にとらわれて我を忘れてしまうのですが、後から冷静に時間をかけて振り返れば、相手にいけ好かない気持ちはあるけれど、「気づくきっかけを与えてくれてありがとう」と思えたりします。





そうすると、相手への「いけ好かない」という感情も薄れて「また何か言ってるなぁ。言いたいのだから言わせておけばいい」で終わるので不思議です。もちろん、そうじゃない場合も多々ありますけれど。





もしかしたら、相手は「わからない」とストレートに伝えたわたしを気に入らなくて、あえて「すっげーわかりやすかった!」と言ったのかもしれないですね。だとすると、わたしが与えた影響を相手は気に入らなかったことになります。そして相手がわたしに影響を与える。




誰かがわたしに影響を与えるように、わたしも誰かに影響を与えている、そう考えると影響が重なり合ってひとつの現象、ひとつの世界をつくっていることがわかります。誰にどんな影響があるのかわかりませんが、何をどうしようと誰かに影響を与えることに変わりがありません。





この記事だってあなたにどんな影響を与えるかわからないですもの。その影響によって自分の内面を磨いていくのか、錆びつかせていくのか、それは自分次第です。