わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

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満たされない気持ちを手放すには



満たされない気持ちを癒やすのは、自分自身です。自分の外側に求めているうちは、いつまでも満たされません。わたしも満たされない気持ちをずっと抱えていました。満たされようとして、好きなブランドの時計だったり、不動産だったり、身の丈に合わないものばかりを求めました。



満たされていれば華やかさや高級さよりも、身の丈に合うお気に入りのものがあれば充分なので、多くのものを求めなくなります。今日は満たされない気持ちをテーマに記事を書いていきます。それでは、本文へお進みくださいませ。




満たされない気持ちが生まれるのは




「あと5センチ身長があれば」「もう少し人に親切であれば」「もっと自信があれば」など自分の足りないものを数えることが日課で、自分の理想と現実のギャップに打ちのめされる経験を少なからず持っている方がいらっしゃるのではないでしょうか。




理想と違う現実の自分を気づかないうちに悪い方へジャッジメント(決めつけ)してしまうのです。足りないものを数えるのは、そのジャッジメントを正当化するためです。現状の自分を自分で認められないから、まわりに認めてもらおうとします。まわりに認めてもらうことでようやく自分を認め安心します。




SNSのいいね!やフォロワーの数を尺度とするのはその代表例です。




まわりが認めたから自分を認められる、はとてももろいです。まわりの評価が変わったら、あっという間に認められない自分へ戻るからです。あるいは、まわりが認めたとしても「そんなはずはない」とさらに自分を否定するケースもあります。自分でジャッジメントしたこと(決めつけたこと)を正当化しようとするからです。




いづれにせよ、自分で自分を認められない限り(決めつけを取り除かない限り)、満たされない気持ちは生まれ続けます。認められないとジャッジメントした自分を認めることは、とても恐ろしくて勇気のいること。





なぜ自分をジャッジメントするのか。それは、”条件つきの愛”があるからです。わたしたちは”条件つきの愛”の元で育ってきたケースが多いのです。あなたは子どもの頃、まわりの大人から「お兄さん(お姉さん)なんだから我慢しなさい」「生徒は教師に従いなさい」など言われませんでしたか?





そうするとほんとうは嫌だと感じているのに、「自分は兄(姉)だから下の兄弟が何をしても我慢すべき」「どんなに理不尽なことをされても教師には従うべき」などが生まれます。その「べき」が条件つきの愛です。「べき」に当てはまらないものは、愛する対象から外れるのです。だから本来感じていることを無視し「べき」に当てはまろうとします。




子どもがひとりで生きていけるようになるまでは、大人からの愛情と支援が必要です。しかし大人たちの「べき」に当てはまらないと充分な愛情と支援が受けられない(子どもにとっては生きていけない)ことが往々にしてあるので、本能的に「べき」に当てはまること(=条件)で愛情と支援(=愛)を受け取ることが刷り込まれます。子どもは子どもで生きるために必死なのです。




「べき」に当てはまることで愛されることを学んだ子どもは、(性格・気質にもよりますが)「べき」に当てはまらない自分は愛される価値がないとジャッジメントし、否定します。まわりと比較しては自分で自分を否定し、自分を認められない状況を生み出すのです。そしてそのまま大人になっていきます。




ひとりで生きられる大人になっても、変わらずまわりから認められよう(評価されよう)とし、自分を満たそうとします。でもね。いくら豪華な食事、高価なモノで自分の見た目や環境を華やかに飾り、それをまわりに見せて認めさせても、満たされないものは満たされないです。自分への”条件つきの愛”(ジャッジメント)がある限り。





満たされない気持ちを手放すには




これはもう、練習です。最初からうまくやろうとしないことです。自転車に乗る練習のようなものです。何度も繰り返す。うまくいかなかったことをジャッジメントしない。「うまくいかなかった」「悔しい」「残念」で留めることから始めます。「だから自分はダメだ」と決めつけて否定しないことです。




でも、この「否定しない」がとても難しい。否定することに慣れてしまっているから。とても居心地が悪く感じます。否定してしまったと感じたら、否定したことをダメとジャッジメント(決めつける)するのではなく、「否定したんだな」で終わらせるのです。ダメとジャッジメントする代わりに、どうして否定したのかを振り返ってみます。




そのためにはだれともつながらないひとりの時間が必要です。世の中、容易にだれかとすぐつながれてしまうので、つながっていないと不安かもしれませんが、あえてつながらない時間を作ります。スマホはちょっと放っておきましょう。LINEがきても、着信があっても。気になるならその時間は、電源をオフあるいは機内モードにしましょう。




振り返るには、自分だけが見るノートやメモ帳などを用意して書き出してみることです。日付とともに感じたことをひと言でも一行でも書く。朝でも夜でも自分の好きなタイミングで。できるだけ毎日書きます。1日1回だけでもいいし、1日何回でもOKです。




誰かに褒められたりけなされたりするために書くのではありません。自分を褒めるためでもけなすためでもありません。自分と過ごすために書きます。見るのは自分だけですから自分の思うがままに書きます。(「書くべき」になってしまうと義務になり、つらくなります。)




それから数週間に1回、振り返りの時間を作ります。定期的に誰か(できれば固定した相手)に話すのもいいでしょう。カウンセリングやコーチングを受けるのもありです。ひとりで書いたノートを見返して、さらに感じたことを書き出すこともありです。ブログにしちゃうとかね。




他には、散歩などもおすすめです。ひとりで行きましょう。スマホは持っていても見ない。お気に入りの音楽を聴きながら歩くのは、まわりの雑音が気にならなくて良いです。Points of You®などのツールでセルフコーチングするなど、方法はいくらでもあります。自分に合うものならば、単独でも組み合わせでも自由。




自分と過ごす時間に慣れてくると、今まで気づかなかったことに気づき始めます。いつも通る道の花壇はたえず花が咲いてると気づけば、だれかがこまめに手入れしているのだと想像できます。そんな気づきをくり返していると、自分にはいろいろな関わりがあることがわかってきます。




多くの関わりがあって自分がある、と感じられるようになると自然と満たされた気持ちになります。条件をつけなくても満たされている(愛されている)ことがわかるので、満たされることを自分の外側に求めることをやめ、少しずつ”条件つきの愛”に別れを告げられます。満たされない気持ちが手放せるのです。




満たされない気持ちを手放したあとは




満たされていれば華やかさや高級さよりも、身の丈に合うお気に入りのものがあれば充分になります。充分に与えられていると知っているので多くのものを求めなくなります。人からは欲がないと見られるかもしれません。




ほんとにいらないんです。港区のタワーマンションに住むとか、多くの人とつながりがあるとか、最新のトレンドとか、お金持ちになりたいとか。どうでもよくなります。自然とシンプルな自分、シンプルな生活になっていきます。




シンプルで等身大の自分でいられると、心地よいです。ですが、社会の中で生活しているとなかなかそうもいかない事情があるのも事実です。だからといってすべてをまわりに合わせてしまうと自分が疲れてしまします。自分を通すことも難儀です。



せめてプライベートの時間はシンプルで等身大の心地よい自分、満たされていることに感謝し、お返しができる自分でいたいものです。