わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)81

 

 

早足で冬がやってきたような、ひんやりとする朝を迎える。冷たい空気が開けた窓から入ってくると、徐々に目が覚めてくる。まだ10月だし、この時期から暖房を使うのは気が引ける。色々着込んで寒さをしのげるうちはそれでもいいかもしれない。

 

 

わたしが受け取らないと決めたものには、誰かからの感謝とか謝罪も含まれる。受け取りたくないと感じているうちはわたしはわたしにそれをゆるす。相手はわたしにゆるされたいのではなく、わたしにゆるされることで自分をゆるしたいだけだ。

 

 

そんな相手の都合に合わせる必要はないとわたしは思うから、関心を寄せない。それを見て相手以外の周囲の人々もわたしから距離を取る。余計なことに巻き込まれなくて済むからありがたい。わたしと向き合う人がいなくても、わたしがわたしに向き合えばそれでいい。

 

 

そもそもが違うので、合わないことが当たり前で、合うことが奇跡なんだと思う。仲良くしたいとか、何かを共有したいとかあまり求めなくなった。素敵に撮れたと自画自賛してしまう写真を誰かに見せるより、ひとりでうっとりニヤリと眺めるほうがよっぽど満足する。

 

 

偏屈になっているのかもしれないし、独りよがりなだけかもしれない。自分を見せたいという欲求がないから、周りからすれば関わりにくいのかもしれない。立ち入ってはいけないと勝手に決めつけて、近寄ってこない。

 

 

わたしが興味あるものと周りの話題はかけ離れていて、だからと言ってそれに近寄ろうと思うこともない。むやみやたらに寄り添うこともしない。きっと寄り添ってほしい人の方が多いから、わたしの方がはみ出しているのだろう。

 

 

それでも。わたしのことは自分で決めるし、決めたことで起こる結果に文句はない。不満なら変えればいいのだ。誰かの期待する何かにはなれない。わたしはどこまで行ってもわたしだ。周りの状況に流されそうになるときもあるが、立ち還るのは結局そこ。

 

 

背負えないものを背負う必要はないし、それで誰がどう思うかなんてわたしにはどうでもいいこと。仕事でもプライベートでも。