わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

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悩みの根源はどこにあるのか



人はどんな内容にしろ何かしらの悩みを抱えています。事業がうまくいかないことかもしれないし、人との関わりに悩むことかもしれません。ですが、悩みの根源はどれもそんなに変わらないのでは?と感じます。今日のテーマは悩みの根源について、です。では、本文へどうぞ。



悩みはどこからくるのか



悩みは自分の中からやってきます。


「自分」があるから悩むとも言えます。「こうしたい」「こうあってほしい」(=自分の要求・希望)が叶わない状況をゆるせないことが悩みの根源です。自分の要求・希望が叶わなくても、「そういうこともあるな」で終われば悩みは薄れます。



以前勤めていた職場で、仲良くしていた同僚がある日からわたしによそよそしい態度を取るようになりました。「あれ?なんだかそっけない…」気のせいかな、とも思いましたがどうも違う。どうしたんだろう?と悩みました。



ちょうどその頃知り合ったコーチングの勉強をしている人のコーチングセッションの練習に協力することになっていたので、そのことを話しました。余談ですけれど、最初は違うテーマで話していたはずなのに、話していくうちに同僚との関係について話すようになっていました。



コーチはわたしの状況を何も知らないです。が、質問に答えているうちにその時いちばん気になっていることが表へ出てきたんです。なんというか、隠しごとができなかったというか。今でも不思議だな。と感じます。



その時点では悩みがすっきり解決!ということはなく、解決したいのに放置しているような、その問題から逃げているような感覚でした。そして、同僚との関係は一向に改善しませんでした。



同僚がよそよそしい態度をとる原因はうすうすわかっていました。その頃わたしは仕事がとても嫌で嫌で、職場へ行けない日があるくらいとても苦痛だったのです。仕事を休みがちになりました。けれど、SNSでは違っていました。



その当時のわたしには、SNSの世界は楽しいものだったので、明るい前向きな感じの投稿をしていました。窮屈な現実を忘れて息抜きができるようなところだったのです。しかし同僚はおそらく困惑したのです。職場とSNS上でのわたしの様子が全く違うから。どっちがホントなの?って。それで不信感を持ってわたしを拒絶したのだと。



わたしはそれがわかっているから、あえて同僚に何もしませんでした。怖かったんです。面と向かってそれを指摘されるのが。なのに、同僚との関係を改善したいと願っていたのです。しかも同僚が変わってくれることを、同僚が行動を起こすことで解決することを。




今考えると、わたし、ほんとしょーもないな。と思います。自分で原因を作っておきながら、同僚のせいにして、自分を変えずに同僚に変わってもらおうとか、どれだけ身勝手でわがままで甘えていたのでしょうね。そして逃げるように職場をやめてしまった。




職場を離れたことは後悔していないですが、同僚に謝らないと、ですね。。。書きながらそう感じました。




でね、本題に戻ります。悩みの根源って自分をジャッジメントしたり、本心を無視することなんです。歪んだ目で自分を見ているからなんです。同僚との関係でいえば、自分を省みることが怖くて、認めたくなくて悩んでいたんですよね。同僚がどうこう、じゃあないんです。



わたしがブレブレなことをしているにもかかわらず、こんな自分は自分の中にいてはいけない、ってジャッジメントして自分を拒絶していたからなのです。整合性がなかった。いろんなものがねじれていたのです。わたしが自分でそうしていたのだと気づくのにはずい分時間がかかりました。それだけねじれていたのでしょうね。



そんな経験からか、人の悩みの根源がどこにあるかなんとなくわかります。指摘するのはカンタンですが、その人が自分で腑に落としてこそ解決するものだとわたしは思います。



ある人がSNSで「わたしの良いところ教えて下さい。わたしは〇〇したくないんです。〇〇している人を見るとすごいなと尊敬します。みなさんが自分では気づかない良いところを教えてくれたら、それを活力に〇〇したいようになると思うのです。」というような投稿していました。



その人は「〇〇したい自分になりたい」んです。その解決策としてまわりの人から自分の良いところ指摘してもらおうとしていました。



色んな人がその人へコメントを残していきます。そのたびにその人は丁寧にコメントを返しています。でもそのコメントの端々に悩みの根源であり、解決の糸口があるのにその人は気づかないでいるのです。もどかしい。だからちょっとだけヒントを、とわたしもコメントを残しました。



「誰かと比べるより〇〇したくない気持ちを大切にしたらどうですか」と。その人は「〇〇したくない自分」がゆるせず「〇〇したい自分になりたい」に目が向いていますから、あまりヒントになってなさそうでしたけれど…



前にも記事にしましたが、人はゆるされたいんです。誰よりも自分自身に。自分でゆるせないから誰かまわりにゆるしてもらおうとします。わたしは「ゆるす」という表現をしますが、別の言い方をすると「認める」です。悩みの根源はだいたいそこにあります。




どうしたら自分で自分をゆるせるようになるのか。これはもう、自分とつながり、自分との関係性を見つめること、です。それはとても孤独な作業です。最初はさみしかったり、心もとない感じがするかもしれませんが、いずれひとりではないことが感じられるようになります。




多くの手助け・支え・いのちがあって今、自分があることがわかるからです。そして、悩みの根源がどこにあるかもわかります。いちどわかってしまえば、同じように悩みが生まれても、そこへ戻ることができます。自分とつながっていれば時間がかかってもちゃんと戻れます。