わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

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空気を読んでも察してもあえて気づかないふりをすることのススメ



え…?空気を読んで動くんじゃないの?気づかないふりをするなんてありえない!と思われるかもしれません。空気を読むことを求められがちですから、そうすることが当たり前な風潮がありますね。それでスムースなコミュニケーションがとれたり、まわりから喜ばれたりしますからその場は波風たたず、まるく収まります。



でも、空気を読んで何でも先まわりするのはとても疲れませんか?それに何をどうしてほしいか相手にわかるようにはっきりと伝えることって大切だとわたしは思います。何でもかんでも空気を読んで先まわりするのは、人の学びや成長の機会を奪うことでもある、というのが今日のお伝えしたいことです。では、本文へお進みくださいませ。




空気を読んで動くこと・察することの問題点


空気を読める人とは、相手の表情や会話の内容、しぐさから相手が何を望んでいるのか読み取る能力に長けている人たちです。相手からすれば、かゆいところに手が届くのでとても喜ばれ歓迎されます。頼られたり、相談を受けたり、お願いごとをされたり。




でも、読み取る能力があるあまり何でも引き受けすぎて、気づいたらへとへとになっていることも少なくありません。「あの人、ムッとしてたけど、わたしの態度が良くなかったのかな?」とか「あの時もっとこうすれば良かったのかな」とか、ひとり反省会が開かれるのはしょっちゅうです。




空気が読める人はよく気づく。それゆえに自分のことのように何でも引き受けてしまうのです。たとえば、理由ははっきりわからないけれど、Aさんが怒っていたとします。Aさんが怒っているのはAさん自身の問題で、Aさんが自分で解決することが必要です。ですが、空気が読める人はAさんが怒っていることで嫌な思いをしたくないので、なんとかAさんをなだめて解決しようとします。




嫌な思いをしたくないのは自分の問題ですが、その解決のためにAさんの問題も一緒に引き受けてしまうのです。そこでAさんの「怒り」という問題が解決されてしまうと、Aさんはそれが本来、自分で解決する問題であることを忘れます。すると双方のあいだでAさんの怒りが「Aさんが解決する問題」から「他者が解決する問題」にすり替わってしまうのです。




だからAさんは「自分を怒らせているのはまわりのせい。だからまわりがなんとかするべきだ」と問題解決を他者へ求めます。まわりの人も空気を読むがゆえにこれ以上嫌な思いをしたくないので、Aさんの怒りを自分たちが解決するものだと思ってしまいます。問題がすり替わっていることにお互い気づかない、余分な問題を引き受けていることに気づかない、それこそ問題じゃありませんか?






それは誰が解決する問題?立ち止まって考える



今年の春先のことです。入職したての方にお遣いを頼みました。以前、別の職員から近所にお遣いを頼まれた時に道にがすぐにわからなくて迷った、と話していたので、その人が迷わなくて済むように駅からの道順案内を写真入りで作成し、渡してお願いしました。で、お願いしてからはたと気づいたんです。





先まわりすることはわたしのナチュラルな性分です。頼まれもしないのに困りごとに解決しようとしてしまう。それは先が予測できてしまうからです。この話の場合は、入職したての人が初めていく場所へのお遣いで道に迷うことが予測されました。お遣いから戻ってきたあと、そのことについて延々とまわりに話すであろうことも。




その話はわたしにとっては少し煩わしいものです。なぜなら、黙々と静かに仕事をしたいから。つまり、自分が仕事を進める上で都合のよい状態にしたくて先まわりしたのです。(まぁ、結果は同じでしたけれど。)これから起こりうるであろう自分の問題を解決するために、その人の問題も一緒に引き受けてしまったのです。わたしの問題と相手の問題を混ぜてしまいました。




ご本人はお遣いから戻ってきた時に「道順案内があったから迷わずに行けた」と話していましたが、わたしとしては先まわりしてしまったと反省です。道に迷うのが心配なのはその人の問題で、わたしが解決するものじゃなかったからです。まずは駅から目的地までの地図だけを用意すればよかったのです。




住所やビル名を入力すればスマホの地図アプリで目的地は表示されます。現在地もわかります。ナビゲートしてくれます。誰かに道を訊くことだってできます。道に迷わないための問題解決方法はその人が自分で見つけることで、次に同じようなことがあった時に自分で対応できます。その人にとってお遣いはそれを学ぶ・成長する機会でした。




ですが、わたしはその人が道に迷ったことで後からあれこれ言われるのが嫌で、先まわりしてを道順案内を用意したのです。自分の都合で。そして相手の学ぶ・成長する機会を奪ってしまった。道順案内は相手から頼まれてから用意すればよかったのです。




今だからわかりますが、わたしが静かに黙々と仕事を進める方法は、他にもありました。「声のボリュームを下げて」とお願いすることもできるし、耳栓もいいかもしれません。相手に道順案内を渡したところで迷うときは迷いますし、それで何を話すかはわたしにはコントロールできることではないのです。あぁぁ…やってしまった。




でも、この経験が次に活かせるわけです。これは誰の問題で誰が解決するの?と自分に問いかけます。まだ充分に成長の余地がありますね。




相手に察してもらうのではなく、何をどうしてほしいかはっきり伝えることの大切さ




また、こんなできごともありました。取引先から仕事の依頼を受けるにあたり、納品するものの一部に商品名がつくものがあり、該当する場合は、商品名のコード番号のみ記載しますとこちらの担当者を通して事前に説明し、納品サンプルと(さわやかジュース:100023、フレッシュジュース:100033のような)コード対応表を渡しました。





で、納品したんです。ところが数週間してから取引先の担当者が「わからない」と言っているというのです。何がどうわからないのか確認しても「それがよくわからないんだよね」とこちらの担当者。何を求めてどう対応してほしいのかはっきりしません。




おそらく納品されたものを自分で確認するの大変だし、知識も不十分なので合っているか不安だからコード番号がついているものは番号だけでなく該当する商品名を書き添えてしてほしい、という要求だろうとだいたい想像はつきます。察しろというわけです。察してますよ、ええ。





その取引先の別の依頼では、コード番号だけではなく該当する商品名も合わせて入力したものを納品しているので(これもまたわたしが先まわりしてしまったものです)、同じようにしてほしいのでしょう。だってラクですし、何も考えなくて済みます。だったら、最初に納品の方法を説明した時にそうしてほしいと相談すればいいのです。なのに後から遠まわしに要求してくる。腹たつー。





でもって、納品したもの約60個のうちコード番号がついているものは、3個でした。3個。「わからない」とだけ言ってくる取引先の担当者は、その言動から、ただやってもらうことだけ求めいて、自分から学ぼうという姿勢がわたしには感じられません。微塵も





個人で取引している相手ならスパッと斬り捨てますが、会社が契約しているので社員としては対応せざるを得ないのがもどかしいところです。





だからこそ、誰がどういう状況で何に困っているのか、だから相手に何をどうしてほしいのかはっきり具体的に相手に伝えることが大切なんじゃないかなぁと感じるのです。





最近あったできごとでは、商品の発送期限が迫っているのに、同封するものが足りないと発送担当者がパニックになっていました。同封するものはその人から頼まれてわたしが発注をかけているのですが、今回はなかなか届かずにいました。




最初からわたしに「状況の問い合わせをしてほしい」と伝えていればそれで済む話なのですが、発送担当者は「どうしよう!ない!足りない!」と言うだけです。まわりの人に解決してもらいたいんですよね。でもわたしはあえて気づかないふりをしました。そうすると、ほかの人へ同じことをします。





だいたいは何をどうしてほしいのかわからないので、反応しません。反応してくれる人が現れるまでそれは続きます。パニックになっているのでなりふり構わずです。めんどうなので手を出したほうが早いしラクです。でもここはあえて気づかないふり。




結局はボスまで話が行きました。ようやく反応してくれる人が現れたのです。しかもボス。そこまでの時間とエネルギーのロスを考えたら、わたしに直接してほしいことを伝えたほうがスムースで、早く対応できたと思うけれど。でも、それもその人の問題だとわたしは思うのであえて気づかないふり。




ここで注意したいのは、自分が相手の学び・成長の機会だととらえていても、相手も同じであるとは限らない、ということです。相手が機会ととらえなければ、それは機会ではないのです。むしろ機会だととらえる人・気づく人はレアです。




そして相手に何かをお願いするのは、相手の大切な時間を自分に割いてもらうことです。それがわかっていれば、相手に空気を読んでもらおう、察してもらおうなんてしません。自分がラクをする分、代わりに相手が苦労を担っているのです。空気を読め、察しろとまわりに求める人は、そこに気づいていませんし、そうすることが当然だと思っています。



気づかないふりをすることで





だからね。空気を読めても、察しても、すぐに動くのではなく、背負える以上の問題を引き受けないためにも、何をどうしてほしいか相手が言うまで待つことも時には必要です。その上で自分がどうするか決めればいいのです。すべて先を読んで先まわりして相手の都合に合わせて動くのは、相手のためにも自分のためにもならない場合があることを知っておきましょう。






気づかないふりをしてまわりから文句をいわれても「それが何か?」くらいでちょうどいいです。そういう人は、気づいてくれそうな人を探すのが上手なので、だんだんと遠ざかっていきます。そうするとむやみやたらに頼みごとをされなくなるので、負担が減り、さっぱりとした人間関係になります。自立した人間関係、とも言えるかもしれません。