わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

迷いのなさがどこから来るのか振り返ってみる〜迷わないようにしているだけ〜




「行動力がある」とか「迷いがない」「ためらいがない」とか、まわりからよく言われます。わたし自身は自覚ないのですが。何かを決めるときは迷いますし、どうするか考えます。その時間が人より短いのかもしれません。今日のテーマは「迷いのなさ」です。



先日クレープが食べたくなりました。でも、「クリーム苦手なんだよな…食べた時はいいけれど、あとで胃がつらいな…ごはん食べられなくなるし。」ってためらっていました。そんな時にクリームの入っていないクレープを売っているお店を見つけたんです。即決ですよ、今日このお店に行こうって。



もうね。満足。クレープを食べ歩きしながら行ってみたい場所へ行って。



こんなこともありました。楽器を買ったんです。このところずっと昔読んだ絵本や映画、好きだったゲームのキャラクターのことが思い出され、そこに共通するのが楽器でした。そのせいか好きな時に好きな場所で楽器を弾きたい、それがかなう楽器はないかなって探していました。憧れの職業、吟遊詩人です。



カスタネットやハーモニカじゃない。ピアノは重くて持ち運べない。小さなわたしの手でも無理なく弾けるもの。弦楽器か管楽器かな。って思いつく楽器の中から絞り込んで、予算や大きな音がでるものは近隣に迷惑だなとか、わたしの条件と合うものを選びました。この間、数ヶ月。でも決めたらすぐ購入。



届いた楽器を見て家の人たちは「アンタ、一体何するの?」っていう顔をしていましたが、ほかの人にも同じような反応をされました。わたしの中ではいろいろなプロセスがあって出てきたものですが、まわりの人にはそこが見えない。何もないところから鳩がでてくる手品のように見えてしまうのでしょうね。タネも仕掛けもございません、なぁんてね。




で、「ためらいがない」「行動力がある」って思われる。仕事じゃあるまいし、そこに至るプロセスを逐一報告しながら進める人っているのかな?クリームの入っていないクレープを売っているお店があるのに、自分の状況に合う楽器がそこにあるのに、どこにためらうのか、何が行動をおしとどめるのかむしろ教えてほしい。




クリフトン・ストレングス(ストレングス・ファインダー)では、実行力の資質がTOP5の中に3つあるので、わたしには当然のことなのかもしれないです。あるストレングスコーチにも「迷いのなさを感じる」って言われましたし。決めるまでは迷うけれど、決めたら迷わない。決めたあとに迷うことはほぼないです、最近は。




迷わなくてもいいようにしているんですよね、きっと。それがわたしには自然なことなので自覚がない。決めたのに迷うのは、決めたとはいえないです。決めたことが現状とかけ離れていて実現しにくいもの、エネルギーを消耗するもの、しんどいものだから迷うので、だったらやらない。選ばない。別の方法にする。または、最初からわたしがしたいことではなかったりします。




なぁんて偉そうに言い切っていますが、以前といっても数年前までは、決めたあとも迷いまくっていました。その原因は、「うまくいかなかった(いかない)自分」がゆるせなかったからです。自信がない、うまくいくかどうかわからない(確実にすすめたいから安全策をとりたい)、まわりの評価=自分の価値だとジャッジメント(決めつけ)していたのです。




新しいことを始めるのも、何かをやめるのも迷っていつまでもダラダラと引きずっていましたもの。迷うのは、自信がないからだって思っていました。それを言い訳にして現状維持したかっただけ。まわりがなんとかしてくれないだろうかって他力本願もいいところで。自己肯定感が低いからとかね。




ところがね。自分で自分をジャッジメントするのを手放したら、あら不思議。決めたら進むだけ、迷ったらやめてみる、ってだんだんシンプルにものごとの決断ができるようになりました。長年ずっと自分をジャッジメントしてきたから、知らずのうちにジャッジメントすることは今でもありますが、ジャッジメントを手放すって決めたら実行してますものね。迷ってないです、そこ。




芯とか軸と呼ばれるものに迷いがないと、その迷いのなさが強みになるだろうな、と。どうやって活かすかはまた別問題ですけれど。




迷いのなさで言えばもうひとつ。音楽を聴きながらいつも通勤するのですが、聴くアーティストは固定されています。それもどのアーティストの曲を聴こうか迷わなくてすむからです。選ぶって時間がかかることだから、あらかじめこれって決めておけば時短になります。




「かならずそうでなければいけない」だと義務感が出やすいので、「今日は違うアーティストの曲が聴きたい」と思えばそれに従います。ただし違うアーティストは片手で数えられるくらいに限定しています。無数だと決められないので。「ここだけははずせない」をひとつふたつ決めてあとは自由にするのが、わたしにはちょうどいいのかもしれません。




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