わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

ぼーっと過ごす時間はエネルギーを充電する時間、自分になくてはならないもの



今朝の気温は氷点下3℃。どうりでひんやりするなぁと。夜明け前に三日月が見えて、空気の澄んだ静かな時間を過ごせました。生活の音があまり聞こえない早朝は、落ち着いて過ごせる時間のひとつです。普段から、特に仕事のある日は頭の中が考えごとでいっぱいなので、ぼーっと過ごす時間はわたしにはとても大切です。




夜もぼーっとして(だいたい家ではぼーっとしていますけどね。子どもの頃から。)、それがわたしの充電方法なのです。誰かと終始一緒に何かをしているととてもしんどい。自分を含めて4人以上になると途端にエネルギー消費量が増えるのがわかります。作業に集中するのにとてもエネルギーがいる。




それは一緒にいる人たちのせいではなく、わたしの生まれ持った性質なのでしょう。人を遠ざけるのは容易いですが、自分の中でうまく折り合いがつくように自分を律することも必要で、だからこそぼーっとする時間がわたしには必要なのです。すべてを周りにあわせるのではなくて、ここまではOKですよ、をはっきりさせる。




だからむやみな人付き合いはやめました。用があれば連絡がくるでしょうし、こちらも用があれば相手に連絡すればいいだけで。それで連絡が取れなかったらそれまでのこと。連絡が取れないのは、お互いに連絡を取る必要がない相手なのでしょうし。それで連絡が取れる相手は、きっと濃いつながりの人。




時々、冷たいのかなぁ。とも思いますが、冷たいかどうかは他人が感じることなのでわたしにはどうしようもないな、といつも結論がでます。そう、だいたい自分のコントロールできることの外側にあるものをどうにかしようとして悩むんです。どうにもならないことだと気づけば手放せるんですけれどね。




でね。いろいろ感じている自分を面白いと思うし、まだまだ修行の途中なんだなぁと時間が経って感じたりします。伸びしろがあるってことですね。成長できるってありがたいです。





仕事が閑散期に入り手持ち無沙汰になってきたスタッフが先日、「することがない」と時間を持て余していました。そこにいないスタッフの仕事のことも心配し始めて「どうしよう」って話しているのを見て「それはあなたが心配することなの?」って思っている自分がいて、そして煩わしいと感じていて…。





帰宅途中その事を考えていたら、手持ち無沙汰なスッタフの早退とか休みとかアリだな、と思いついて上司に相談してみたり。いろいろ感じることを自分の中で処理するのに大忙しだから、なおさら人よりぼーっとする時間が必要なのかもしれません。ひとりで落ち着いている時間がないと処理不十分で、ストレス。





さて、今日もぼーっとしますかね。