わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

「自由」ってなんだろう?と考えてみる



アメリカのトランプ大統領Twitterアカウントを永久停止するというニュースを見て自由ってなんだろな?と考えました。思うままにつらつらと書いていきます。まとまらないかもしれませんが、ご容赦ください。




秩序を保てる範囲でゆるされることが「自由」なら、わたしたちにゆるされる自由は限定的なものなんだなぁと。それを「自由」と呼べるのかなぁ?とも考えます。たとえば、暴力。他人の権利を侵害すること。誹謗中傷。力で弱いものをねじ伏せる。それは誰かの都合に合わせた秩序を保つためのものかもしれない。




でも、万人が「誰か」の都合に合わせた秩序を支持するものでもない。合わせられないものがあるのは、それぞれの都合があるから。それは社会的立場にもよるだろうし、思想にもよるでしょう。そう考えると自由は存在しないのかもしれないと思ってしまうのです。




トランプ大統領がツイートした具体的内容をわたしは知りませんが、それがきっかけになって暴動が起きたのなら、人々が溜め込まれたうっぷんのはけ口を求めているからじゃないだろうかと勝手に推測しています。COVID-19の影響で更に抑圧的になっている人々も多いでしょうから。




人は失うことに恐れと不安を抱いています。「いのちを守る」という前提のもと課されている制限は、今まで築き上げてきたものを失いかねません。それはこれまでの仕事だったり、社会的立場だったり、人とのつながりだったり、その人たちの暮らしそのものが危ぶまれている。




「いのちを守る」という一方で、「助かる見込みのない人の救急搬送はしないように」と指示を出すアメリカの自治体もあり(受け皿に余裕がないからそうせざるを得ないのでしょう、日本だっていつそうなるか)、その矛盾とやるせなさがさらにうっぷんを溜め込むことになるわけで、そりゃぁ暴動も起きるわなって思うわけです。




でね。その混乱のタネを撒いているのは他ならぬ人間で、タネを撒いたからそうなっているのに自分たちは関係ない、巻き込まれたってその責任を押し付けあっている。COVID-19を恐れているのは人間で、恐怖から逃れるために自分たちで制限を設け、その制限に苦しんでいる。気づいていないのかなぁ?




だからね。人間の言う「自由」ってスズメが空を飛びまわったり、月の満ち欠けや桜の花が咲いて散っていく姿には遠く及ばないんじゃないかなって思うのです。釈尊が「生きることは苦」と説いたのもなんとなくわかります。人として生まれてきたから背負うものなのかもしれませんね。




では、今日はこのへんで。