自分のコントロールが及ばないことをどうにかしようとしている姿を見かけるなぁと最近よく感じるようになりました。コントロールに必死になってエネルギー消費して、でもどうにもならないからいら立ちを募らせる。真剣に取り組んでいるからなおさら。そしてそれを面白いと感じるわたしがいます。
どうしてそんなに必死なのか。それって自分をゆるしたいからなのかなぁと。たとえば感染症にかかる自分はゆるせない。だからかからないようにあれこれ対策する。そうすることで万が一感染しても言い訳がたつ。他ならぬ自分自身と周りに。
面倒な生き物ですね、人間って。そんなことに必死にならなくても、あらゆることをゆるされているのにね。…なぁーんて、気持ちに余白があるときはそう思えるしそう感じるのだけれど、目の前のことに追われているときれいサッパリとんでしまうので、ゆっくり過ごす時間はわたしには大切だなとつくづく感じます。
それでね。自分の思うようにならないからと相手に罰を与えてコントロールしようとするのはどうなのかなぁとも考えます。少し前までわたしもそうするものだと思い込んでいましたので、偉そうなことは申し上げられないのですが。
何かあるとすぐ罰を与えようとするのは、それだけココロに余白がなくてゆるせないものに支配されているからなのかもしれませんね。誰かに罰を与えたらその分自分を傷つけ苦しめるのにね。ほんとうはわかっているのかもしれませんが、それを認めたくないのでしょう。それだけ自分をゆるせないのですから。
そうすると人間は自分たちでわざと窮屈を感じるようにしているのかも。そのほうが都合がいいのかな。自分を責め続けるなんてマゾだなって思うけれど、それが人間の本質か。だとしたら、それを無理やりどうこうしようとするのは、それこそコントロールが及ばないこと。成り行きに任せているのが楽で心地よいなって結論になりました。今。
わたしは緊張が強く首や肩にいつも力が入ってので、このくらいゆるくしておかないとね。それではまた。