わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)96

 

 

今週は記事更新頻度がいつになく多い。それだけ余裕があった週だった。ありがたいことだ。乾燥しているせいか、鼻がムズムズする。よもや花粉ではあるまい。今朝はいつもより1時間ほど遅く目が覚めた。前日はいつもより1時間早く寝た。

 

 

自覚しているよりもエネルギーを消費していたらしい。おかげで今朝は快調に過ごせている。昨日残していたシンクの洗い物をさっと片付け、そのついでにシンクの掃除もして。うん、スッキリ爽快。朝のほうが諸々捗る、朝方人間だと自覚する。

 

 

その分午後はまったり過ごすことが多い。仕事も集中したいものは午前中に持ってくるように配分する。上司からの宿題は休日に済ませておいてよかった。その分持ち帰ることのできない仕事に集中することができた。

 

 

あまり猶予のない仕事を振られる時は、優先順位の組み換えを余儀なくされる。どう考えても間に合わなさそうだと、休日に仕事をする選択はあまりしない。が。気になってしまうと、せっかくの休日が心置きなく過ごせない。ならば片してしまえと考えた。

 

 

掃除をしながら、わたしには組織の中で上を目指したいと思う自分がいることに気づいた。けど自分が思うほど組織では重宝されていない。これもまた自分のものさしで組織を見ているから起こるギャップなのだろう。組織のものさしにわたしは当てはまらない状況なのだ。

 

 

そしてわたしは、組織のものさしに当てはまろうという気持ちがない。埋まらない溝がある。なぁんだ。そんなことか。と、理解する。じゃあ、しょうがないね。上に行けなくても。それに上に行って何をしたいのか?裁量の幅を増やしたいのかもしれない。

 

 

しかしながら、現状ではそれに似合うほど責任を負う器がない。うん、分相応の位置にいるのだと、身の程を知る。ものさしの違いを理解する練習は、自己理解する練習でもある。様々なできごとに惑わされ、現在地がわからなくなっていたのだ。

 

 

また少しずつ取り戻せればいい。来月に休暇を取って自分と向き合おうと考えていたが、その必要がなくなった。日常の中で時間を作るようにすればいい。どこか遠くへ行くことをせずとも切り替えができた。

 

 

惑わされたから見えてきたもの、わかったものがたくさんある。学びの宝庫だ。いくら学んでも学びきれないほどたくさんの。人生の最後までそうして学び続けられれば本望かもしれない。と今日は思う。

 

 

この後洗濯して、ゆっくり過ごそう。朝ごはんもゆっくり食べて。温かいお茶を飲んで。ありがたくしあわせな時間を過ごそう。