わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)97

 

 

アドラー心理学について解説している本を読んだ。あ、これは普段自然にやっているぞとなるものと、読み進めることで新たに生まれた(気づいた)ことがあった。わたしを極端に嫌ったり怖がったりする人は、わたしそのものを見ていない。

 

 

わたしという鏡に映るその人自身を怖がっている。これもまたものの捉え方だろう。その捉え方は、すっとわたしの中に入ってきた。しっくりくるものだった。思うに心理学とは、自分にとって快適なものの捉え方を見つけ出す学問なのかもしれない。

 

 

この数日間、感情が揺らぐことに対し向き合ってきた末の答えだ。生き物には生存本能が備わっている。心理学もまた生き延びるための手段なのだろう。感情が揺らいだ元をゆっくり紐解いて、咀嚼して、手放した。いや、手放している最中だ。

 

 

今日は文字を打つ手が止まりがちだ。書きたいことがまとまらない。矛盾していることを書いたり。それもまたわたしで。矛盾することが同時に存在していて。知りたいとも知らなくてもいいとも思う。そういう時は流れに身を任せると自然と答えも決まる。矛盾は矛盾のままに。そのままで行こう。

 

 

感情が揺らされたから、色んなことがわかった。自分を見失いかけていたこと、周りに振り回されていたこと。朝晩のノート書きは続けている。自分と向き合う時間をこまめに取って、メンテナンスをすること。揺らいだとしてもまたニュートラルなところへ戻れる。

 

 

なんだろう。感情が揺れても、自分で自分を責めることは減った感じがする。冷静に分析している自分がいる。「また〇〇と考えている」「自分をいじめている」とすぐに気づく。わたしがわたしをいじめてどうする。わたしがわたしを助けなくてどうする。

 

 

いつもわたしはわたしに助けられている。時間がかかっても答えは出てくる。わたしがその時最良と思う決断をする。いつだってわたしはその時のベストを尽くしている。周りには受け入れがたいことだったとしても、それでも。

 

 

どこまでいってもわたしはわたしで。それ以上でもそれ以下でもなく。ただただ、どこまでもわたし。きっと今回のことも、こうしてわたしがわたしを受け容れるための試練だったのかもしれない。そう思えば、自ずと道が見えてくる。

 

 

わたしにはまだまだ学ぶことがたくさんある。一つ一つ課題をこなしていくだけ。わたしを磨いて磨いて磨き続ける。それだけ。それがきっと世界への恩返しにつながる。