わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)85

 

 

あることを、手放すと決めた。そうしたら、滞っていたものが流れるようになったと感じる。一見関係ないような事柄なのに、実はどこかでつながっていたのかもしれない。すぅっと流れたので、それに乗って行動をする。

 

 

その過程で、切られると書くと語弊があるが、関係性を改める人たちがいる。自然と離れていく。互いに滞りの原因となっていたのだろう。関係性が改まることで、滞りが解消されていくのだ。なるようになっているのだなとつくづく感じる。とてもありがたいことだ。

 

 

その分余裕が生まれ、より集中して取り組めるようになっている。概ねのぞみ通りになっていて、自分に沿っているってこういうことなのだろうかと考える。高望みしなくても、目の前にあるものを大切にすれば、それで充分で。

 

 

わたしは、望んだ場所に元からいるのだという感覚に包まれる。行いの一つ一つが、自分に与えるギフトであり、常にわたしはわたしに何を与えるか問いかける。不思議なことに、日々の小さなことが幸福だと思える。

 

 

わたしにとって心地よいものを選択すると、自分への労りと感謝で満ちる。この選択でいいのだ、大丈夫と根拠はないが、安心する。そして他者の選択から距離をおけるようになる。感情がそれを許さないとしても、切り離して考えられる。

 

 

どうしてそこに感情が反応するのかと考える。どこから来たのだろう?と。わたしの見えているものが、全てではなく。だけども、見えているものさしで測ってしまうから、あれこれジャッジしてしまうのかもしれない。

 

 

そこに気づくと、もやもやしていたものは、自然とゆっくりながら消えていく。それがその人のベストの選択であって、わたしがもし同じ立場なら違う選択をするというだけのこと。見え透いた魂胆にイラッとするが、それはわたしの問題で、相手の問題ではない。

 

 

むしろ、離れてくれてありがたいのだ。反応しなくて済むようになるのだから。相手の覚悟より、自分の覚悟を。相手を批評するなら、自分を磨こうと考え直す。日々、それの繰り返し。切れていく関係をつなぎとめる気はないのだから、これもわたしの選択の結果。

 

 

今日は、スマホの電源をオフにしていたのに、いつもと同じ時間に目が覚めて。休日だからこそこうして早朝に記事がかける。ちょっとした雑務を片付けてしまおう。