わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)113

 

 

過去の自分に助けられていることがたくさんある。今日は、家計簿でそう感じた。最近はノートに手書きで記入していたが、やはり自動で計算できるものが良いと思い始め、Excelで家計簿を作ろうかと考えた。

 

 

過去に自分で作ったものを確認して、これにちょっと手を加えて使えばいいと結論が出た。過去に作ったものをそのまま活かせる。外からでも入力できるようにGoogle Driveにアップすればわざわざレシートを取っておかなくても済む。作ったわたしありがとう。

 

 

先日外出中に熱中症手前のような症状が出て、まずいと思った。汗はダラダラといつまでも流れ、立ちくらみを感じた。こりゃいかん、とスポーツドリンクを買ってちびちびと飲めば、持ち直した。そこまでして外出中するような用事だっただろうか?と思い返すと、答えは否だ。

 

 

そこまでするような義理はわたしにない。アホみたいな責任感で動いていたように思う。それは背負うことじゃなかったし、背負うならそれなりの対価があって然りと感じた。文句をいったところで時間が戻るわけではない。

 

 

「ここまで」という区切りは、ものごとより時間で決めたほうが時には良いと思う。やり残したくないという気持ちもあるが、それだといつまでもダラダラ続けてしまいそうだ。だから時間で区切る。期限があるから、内容も濃くひとつひとつに取り組めるような気がする。

 

 

周りの状況に流されて期限を延ばしてしまいそうになるが、これまでを振り返るときちりと区切ったほうが良いと自分に言い聞かせる。これまでのことを手放すのが惜しいと思うが、それは執着というものだろう。または恒常性というのか。変化したくないという抵抗か。

 

 

それでも変化はやってくるし、変化せざるを得ない。どこかで区切りは必要で、だから今回はなんと言われようとも期限を変更する気はない。行動すれば道は拓ける。未知なることは不安だけど、それでも進めばわかる。やってみればわかるのだ。

 

 

進むにあたって最大の重石も、現在片付け中だ。いつまでも背負うことなかろう、背負ってきた自分をもうゆるそうと思えたから行動できた。やはりわたしは空を飛びたいから。その分制限もあるが、手に入れる自由を思えば些末なことに感じる。

 

 

わたしは恵まれていると思う。必要なものはその時にふさわしい形で目の前に降りてくる。ありがたいことである。こうして毎日を過ごせることは幸せである。さぁ。ささっと掃除してゆっくり朝ごはんを食べよう。あ、家計簿も済ませてしまおう。