わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)78

 

 

あれ?秋はどこへ?急に冬がやってきたような寒さにびっくりした。冬用の布団を引っ張り出して、ヒートテックを着て。鍋料理が食べたくなってしまう。今日はあったか鍋確定だ。

 

 

 

不安なことがあったが、周りのせいにしても誰かを責めても解決しない。自分でまずは動いてみようと思い至った。それと、何のためにそれをするのか自分の中で意味づけをした。快適さを維持するため。誰かの何かを背負うことじゃない。

 

 

 

誰かの問題は本人が背負うもの。その線引を自分の中ではっきりさせたら、不安は楽になった。少しづつ行動し始めたことも。小さく始めて積み重ねること。慎重に。

 

 

 

わたしはきっと扱いづらい人間だと思う。必要以上に周りに合わせないし、線を引いている。あえての時もあるし、無意識の時もある。何をどこまで話すかも相手によって変える。土足で踏み込んでくるような相手には必要がなければ近づかない。そういう人はわたしの顔色を伺って近づいてこないことが多い。

 

 

 

とっつきにくさもあると思う。どう接すればいいのかわからないと言われたこともある。気難しい人認定されているらしい。それが人よけになって変なことに巻き込まれたり、出どころのわからない情報に振り回されたりしなくて済んでいる。

 

 

 

自分から誰かへ近づくことがあまりないかもしれない。だから、わたしに近寄っても同じように歩み寄ってくれない、距離を縮めてくれない相手として距離を置かれるのだろう。必要以上に仲良くなる気はないし、それで困っていない。

 

 

 

そもそも仲良くしたいと思っていないかもしれない。友達の定義もわからない。過去の手痛い経験がそうさせているのかもしれないね。なんだかんだと自分のココロの鎧は幾重にもなっている。それがわたしのナチュラルだと思えば、鎧を脱げる相手がいないのだと憐れむこともなく。

 

 

 

それを誰かにわかってくれと求めることもない。それだけ傷ついてきたのだとわたしがわたしを解っていれば充分だ。誰でも彼でも自分を打ち明けることをしないのは、わたしの気質だし、それで誰がどう思おうともそれは相手の問題。わたしはわたしのために取捨選択しているだけ。

 

 

 

反対に相手のお作法にイライラすることもある。自分のそれと違うのだと言い聞かせても収まらないこともある。身勝手な感じ。そういうところが未熟なんだな、わたし。言葉足らずだといつも思う。それをうまく説明してくれる人もいるが、飲み込めないまますれ違う人もいる。

 

 

 

すれ違っても、それを修正する気にならない自分がいて。そこにエネルギーを使いたい相手であればそうするけれど、だいたいはそうじゃない。冷めているのかもしれないし、相手に期待しているだけかもしれない。