わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)131

 

 

ここ数年クリスマスの時期は寒波がやってきている気がする。寒い。今朝も暖房がないととても過ごせない。そして乾燥しているので加湿器を出した。今も部屋の湿度は30%台である。うるおい大事。

 

 

先週はアイロンがけに手をつけなかった。何かと理由をつけてしなくていいようにしていた。今日はできそうな気がする。いやする。午前中のうちにやっつける。ササッとトイレ掃除や気になった箇所のホコリを払ったし、この流れで済ませてしまう。

 

 

わたしは自分を見失うことをとても恐れている。人や感情などの波にのまれて自分がわからなくなるのがとても怖い。そして「怖い」と感じるわたし自身がゆるせない。わたしはそんな自分を罰しなくて済むように人や感情から距離を取る。自分と他者との境界線が曖昧だからだと評する人もいる。だが、境界線の位置は人それぞれ。快適な距離は異なる。

 

 

波にのまれて尚自分を見失わずにいられるほどわたしは丈夫じゃない。波にのまれない場所にいるからこそ、今のわたしがある。植え付けた恐怖がわたしをそう導いた。なるようになったとも言える。その場所からしか見えない景色がある。それを誰かと共有したいという欲が薄い。それも怖いのだ。自分が侵食されてしまうようで。わたしはとても脆いから。

 

 

幼少期に(わたしにとって)強烈な経験をしたのかもしれない。わたしの領域はわたしの許可なく勝手にズカズカと土足で踏み込まれ、抵抗する間もなくひどく荒らされてしまった。とても悲しくて辛くて。相手の理不尽な行いに抗うことができなくて。そんなわたしが不甲斐なくて。だからわたしはわたしを守ろうと幾重にも頑丈で強固なシャッターを設置した。

 

 

記事を書きながら、わたしはとても辛かったのだと感じている。無条件に信頼を寄せる相手からの仕打ちに。尊重されなかったことに。自分を守れなかったことに。こんなにも傷ついて。わたしは子どもに同じことをしていないだろうか。とても不安になる。勝手な願いだが、どうか健やかであってほしい。

 

 

幼少期と変わらず無力な部分もある。だが今はそれを補える知識や情報を得て使うことができる。周りと感情を分かち合うことはこの先も難しいだろう。それでいい。そのままのわたしで行こう。周りに合わせて無理にそれを行うのは、苦痛だ。合わせられないものは合わせなくていい。

 

 

できないからと嘆くのではなく、できない自分を大切にしたい。感情を分かち合わないからこそできることがある。こうして自分を俯瞰したり、ね。