わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)130

 

 

とある美容脱毛サロンが破産手続きを開始したというニュースを目にした。かつてわたしもお世話になったサロンである。会員には破産手続き開始のメールが配信されているというが、わたしのところには届いていない。会員サイトにログインできるが、もう数年通っていないので情報が削除されているのかもしれない。

 

 

これから希望を持ってサロンへ通うつもりであったあるいはその途中な人々はさぞかしびっくりしただろうと思う。従業員然り。それらを含めた覚悟をもって経営陣は決断したのだろう。我が身を重ね、自分の行いの結果を真摯に受け止めこれからを生きねばと再確認する。

 

 

 

今の状況がゆるせないから人は何か・誰かを責めるのだろうと思う。思うようにいかない、置かれている状況を自分が受け容れられないから、それを自分にゆるしたくて何か・誰かに映る自分を責める。他者を裁くということは自分自身を裁くことだと思う。思い出した。日々の生活に追われてすっかり忘れていた。ここ最近続いていたことは、それを気づかせるためだったと意味づける。

 

 

 

わたしがロストワンになったのは、わたしを守るため。きっかけは親の行いだが、決して親のせいではない。わたしを「いらない子」にしたのは自分だ。そう自分を定義してわたしを守ってきた。感情を抑え目立たないように過ごしてきたのも。それだけわたしは傷つくのが怖いのだ。結果としてそれが却って自分を益々傷つけていたのだけど。

 

 

 

ホントは「いる子」でいたいのに「いらない子」でいようとしていた。これまでは。けど、いつでもわたしはわたしに寄り添うと腑に落ちたら、「いらない子」でも構わなくなった。そうしたら、感情が落ち着いた。揺らぐことが減った。わたしはわたしをよすがにできたのだと思う。おなかの中心に自分が据えられた感覚がある。それはとても暖かさを感じる。

 

 

 

きっとそのままのわたしを受け容れたということなのだろう。仕事においても、自分でなければから、他の人でもできるようにシフトしていくことが必要だと考え始めた。ずっとわたしがその仕事を担うわけではない。事業はその先もつづくのだから。残された時間でどこまでできるかわからないが、次の人のためにある程度の土台は作っておきたい。

 

 

 

ある手続きがほぼ完了した。状況がよくわからないまま「これで終わり」と言われて、これまであったガイドラインが急に消えどうすればいいのか分からなくなった。ふわふわと浮ついた感じがして困惑する。これまでと大きく変わることはないと頭ではわかっているが、浮遊感が収まらず、まずは買い物をしようと漠然と思った。

 

 

 

マフラーが欲しかったので、見に行くついでにアウターやルームソックスなどを購入し、会計をする時になってようやく現実に帰ってこれた感じになった。ふわふわとしながらも必要なものかどうかは確認できていたようだ。本来はアウターなのだろうが、部屋で着るための温かい上着や手触りの良いルームソックスなど、揃えたいものが揃えられたのだから。

 

 

 

わたしが冬の衣類に求めるのは、暖かさ・軽さ・肌触りの良さである。ウールは暖かいが肌触りがよろしくない。ちくちくとする。寒いからと子どもの時は毛糸のパンツやらタイツやらを履かされたがとにかくちくちくが嫌でたまらなかった。今でもウールのカーディガンやマフラーはちくちくが嫌で避ける。No More ちくちく である。

 

 

 

結局マフラーは購入を見送った。いくつかの店を見たがどれもちくちくが気になったからだ。幸いまだ凍えるような冷え込みの日が少ないのでマフラーは必須ではない。気に入るものに出会えるまで待とうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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