わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)57

 

 

今朝はアラームが鳴ったあと、ずいぶん微睡んだようだ。知っているような知らないような、はて?誰だろう?という人たちと車で長距離を移動する夢を見た。その中で、さらに夢を見た。夢の中で夢を見るって、そんなこともあるんだな。

 

 

先週、所用で車に載せてもらったから、その影響かもしれない。移動のさなか目にした光景はわたしの生活圏内では見かけない分、新鮮に映った。同乗者が「ここはどのあたりだろう?」と口にしたので、「〇〇だよ、埠頭の近くだから工業地帯だね」と道路案内板を見ながら答えた。

 

 

「詳しいね」と別の同乗者に言われたが、案内板にある地名と倉庫が連なり、煙突があちこちにある光景を見ればわかるんじゃないかな?と思いつつ。その会話のあと、昔、同級生とある場所へ出かけた時のことを思い出した。

 

 

同級生は、「あそこに地層があるね!」など目にしたこと気づいたことをすぐに言葉にしていた。それを見たわたしの親が、「〇〇ちゃんは何でもすぐに気づいて利発ね。それに引き換えアンタはぼぉーーーっとして鈍くさいわね。」と言ってきた。

 

 

その時の感情など思い出せないが、わたしの反応は薄かったように思う。なにせ「ぼぉーーーっとして鈍くさい」のだから。その同級生を見習え的なことも言ってきたが、どう頑張っても同級生のようにはなれなかったし、その気もなかった。自分じゃない違うものになろうとするとしんどい。わたしはいつでもわたしでありたい。

 

 

それでもずいぶん親にとっての「いい子」でいたと思う。「いい子」の枠にはまっていることが窮屈だったから、早く家を出たいとずっと思っていた。兄弟のなかで多分、一番家に寄り付かない。親との縁が薄いと時々言われるけれど、それも当然だとわたしは思う。

 

 

親には親の価値観があるから、それを妨げることなく、自分の価値観を大切にするための選択が家を出る、距離を取る、だった。その選択をしてよかったといつも思う。たとえば、好きなタイミングで好きなだけお風呂に入れる。好きなように片付けができるし、好きなようにご飯を食べられる。

 

 

自分の心地よいものを自分で選択できるのが、何よりうれしい。今日はゆっくり朝風呂に浸かって、ついでに浴室の掃除もしてさっぱりスッキリ。お気に入りのハーブティを飲みながらこうして記事を書く。自分のために、自分へ向けて記事を書く。うん、快適。