わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

自分のカラダへ感謝するとき

 

 

日々いろいろなことを感じるけれど、それはこのカラダがあるから感じられるんだなぁといつも思います。どうしてそう感じたのか、そこからわたしはどうしたいのか。

 

 

 

先日、職場でトップがあるスタッフへ小言を言っていました。みんなで話し合って決めたルールがどうして守れないんだ!失敗しても自分たちは責任を取れないのだから、失敗しないようにルールを守れ!という内容でした。

 

 

 

なんでできないんだよ!の繰り返し。本来そのスタッフに言うことではないのに、誰かに言わずにはいられなかったのでしょうね。で、その話を別のスタッフが「トップが〇〇さんにこう言っていました」と管理者へ告げる。

 

 

 

そのできごとがわたしの中ではとても気分が悪くて、消化しづらいなぁって最初は感じました。でも、そのことをノートに書き出しているうちに、「これはわたしが受け取る必要のないものだ」と気づきスッと手放せたのです。

 

 

 

そうしたら、面白く感じてしまって。トップは責任を負いたくないんだな、管理者へ告げるスタッフは自分と他者との境界線が曖昧なんだな、でも当人たちは気づいていない。指摘するのは余計なお世話、黙っていよう。あの人たちの課題だから。

 

 

 

とはいえ、わたしもそういう行いをしていないか反省する必要もあって。わたしにそれを相談されても困る…というものに一生懸命答えてしまっていたりするので、注意していこうと気持ちを改める次第です。

 

 

 

ほんと気づくと余計なものを背負っているので、気づいたら少しずつ手放していくようにしています。わたしは身軽で自由でいたいから。人のことをとやかく思うより、わたしをどうしたいか、自分の課題を優先したい。つい、忘れてしまうけれど。

 

 

 

だからいつも問いかける。「わたしはどうしたい?」
そうすると自然と答えが返ってくる。

 

 

 

日々、いろんなことがあって、いろいろ反応している自分に気づいて。そこから何を学ぶのか。学べる、成長できる機会があることがとてもありがたいし、嬉しい。それもこのカラダがあるからだってわかると自分へも感謝できる。存在してくれてありがとうってね。

 

 

とりとめもなく、今日はここまで。