わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)63

 

 

1週間、色々なことがあった。感情が揺らいで、エネルギーを消耗していることがわかる。特に怒りは、エネルギー消耗が激しい。どっと疲れる。だからあまり怒りを感じたくない。が、あることに対して、ずっと怒りを感じていた。自分の中で文句ばかり出てくる。

 

 

それがたまらなく不快で。だったら、自分のできることをしようと策を練る。その策は、きっと波乱を起こすだろうから、と予め人に話したら、自分にも考えや行いを改める部分があると気付かされた。ありがたいねぇ。

 

 

自分の価値観を相手に押し付けようとしていただけかも、と思い直した。とはいえ、負えないものは負えないので、そこの線引きはしておく。色んなコトが起こるたびに、あり方を問われているのだと思う。それは、他者も同じ。じゃあ。どうする?ってそれぞれに問われている。

 

 

それぞれの見方の違いから、ボタンの掛け違いがあちこちで起きているというのがわかる。わたしにもある。ある人はそれを「かわいそう」と言った。憐れむことは必要ないとわたしは思う。そのボタンの掛け違いが、互いを成長させるのだ。

 

 

その人はしきりに「未熟だ」という。良いじゃないか。未熟で。だから成長できる。成長したいかは人それぞれだし、本人が決めればいい。周りがどうこう言うことじゃない。

 

 

安定した環境で力を発揮できる人もいれば、変化を楽しめる人もいる。ただの違いだ。ジャッジメントすることじゃない。拘泥するのがバカらしいと思うが、そこに囚われるのもまたわたしだ。じゃぁどうする?ってそのたび自分へ問う。その繰り返しで自分は磨かれも、鈍りもする。

 

 

週末は自分のメンテナス時間。平日では調整しきれない部分を行う。スマホの電源を落としてアラームで起こされないようにする。読書をしたり、ボーッと考え事を。課題があれば、それに取り組む。そうして翌週に備える。

 

 

職場では、あちこちでさざ波が起きているから、なおさらそれが必要。それに、試されているような気がする。乗り越えられる?って。ダメージを受けるかもだし、へこたれることもあるだろう、実際にそうなることもあるが、多分、大丈夫。

 

 

わたしには、わたしがいる。いつでも共にいてくれる。助けの手は差し伸べられる。その時に必要な形で。だから大丈夫。それを信じられないときでも大丈夫。

 

 

今日は蒸し暑くなりそう。。。