わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

別れを通して気づいた「所有している」感覚



暖かい日が続くので桜はもとより、桃や木蓮もあっという間に開花しましたね。楓も新しい葉が伸びてきて緑を茂らせはじめています。先日職場で退職される方と最後のごあいさつしました。これから新しく入職される方もいらっしゃいます。




私的なことでは、これまで使っていたノートパソコンとスマホをリサイクルに出すことにしました。それぞれリサイクルの申し込みをして、初期化の作業をしたのですが、うるっとしちゃいました。




特にノートパソコンは初めて自分で買ったもので、不具合なく7年近く活躍してくれたので愛着があるのでしょうね、初期化して真っ黒になった画面を見てうるうる。そして「これまでありがとう」という気持ちがわきあがってきました。思わず抱きしめる(笑)




スマホも3年半くらい不具合なく使っていましたが、バッテリーの劣化が進んでいたのである日突然電源が入らなくなった!なんてなる前に買い替えました。新しい機種が今まで使用していたものと大きさ・デザインもさほど変わらず違和感なく使えるのでありがたいです。




そこでね。あれ?って思いました。退職される人にはありがとうの気持ちはあれど、寂しいとかそういう感情はまったくなかった。年末にもひとり退職されたのですが、その時も。その方々が退職することはわたしの中ではとても自然ななりゆきだと感じていました。




人よりモノに愛着があるんだな。わたし。ノートパソコンもスマホもその方々よりわたしと距離が近いと感じているから。…ってことに気づきました。道具だけど、わたしの一部だって感覚がある。おもしろいな、自分。




モノには「所有している」という感覚があって、人にはそれがないんです。服や化粧水を勝手に使われると嫌だと感じる。だけど人が自分から離れていくことには抵抗がない。例えば、一緒に住んでいる家族が引っ越すことになっても何とも思わない。




まわりから「さみしくないの?」って言われることもありますが。。。さみしいより成長が喜ばしい。成長する喜ばしさを身を以て体験したからかもしれないですね。あるいは十分足りていると感じているからか。




モノ・人に限らずそれらから離れることで何かが欠けたように感じて、さみしいって感情が出てくる。うん、でもね。最初から満ちることも欠けることもないんだよ。過不足なく足りている。その感覚がないからいろいろな感情が出てくるんだろうなぁと思います。




だからわたしはこれまでわたしを支えてくれたことに感謝してお別れするのです。モノであろうと人であろうと。