わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)68

 

 

連日の猛暑、徒歩通勤を電車通勤に切り替えた。朝から照りつける強烈な日差しの中徒歩50分は無謀だと最近思う。それで熱中症になっても「そりゃそうだよね」ってなるから。とは言え、最寄り駅まで20分くらいかかるので、十分運動にはなる。

 

 

涼しくなったらまた歩こう。ここで無理をしても続かないしね。

 

 

職場ではまた波が来ている。常に波のある状態だけれど、また波乱になりそう。どんな波がきてもわたしはわたしのできることを精一杯務めるだけ。あれこれかまっている場合じゃないね。漏れ聞こえる話に反応しがちだけれど、その全てに関わる必要はないし、必要があればこちらに回ってくるだろうからって自分にそのつど言い聞かせてる。

 

 

気分転換できるように、席を外したり、他の仕事をやってみたり。途中で別件対応していると横からその仕事を掠め取られたりもするけれど、そうやって世の中は成り立っているのかもと思えばまぁいいかとなる。残念ながらそうならない時もある。

 

 

相手にもよるかもしれない。この人は大丈夫だけど、あの人はイラッとするとか。相手との関係性によるものかもしれないし、わたしの相手への認識の違いかもしれない。体調にもよる。特に自分自身を卑下したり、否定する人は嫌かもしれない。わたしの勝手な印象でしかないけれど。

 

 

相手には相手なりの事情があると頭ではわかっていても、忘れてしまいがち。はたと気づいて修正できればそれで良しとしちゃう。相手の事情を全部汲み取ることはできない。わたしにも事情があるから。それでどう思うかは相手が決めることだ。

 

 

誰でも分け隔てなくって難しいね。意識もしてないけど。いい人でいようっていうのがそもそもおこがましいんだろう。いい人にはどう頑張ってもなれない。それよりも、わたしのままでいよう。それで離れるならそれまでの関係性なのだし。

 

 

わたしの中にいる冷酷なわたしが時々顔を出す。それを抑えようとする自分もいる。どちらもわたしの一部。冷酷だなって思うけれど、それもわたしだ。それをわかった上でどうするか決めればいい。うん。いつでもわたしは、わたしをゆるす。

 

 

どう評価されようとも、わたしが決めたことならわたしはそれをゆるす。この前、コーチを話をして「認めてほしい」欲求が自分にあることに気づいた。自分の行動に自信が持てなかったから、肯定してほしかった。

 

 

どんなプロセスでも進んでいる。外的要因で思うようにならなかったとしても、そのせいにすることなく自分のできることを見つけていこう。この迷いがきっと糧になる。