わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)69

 

 

因果応報だな…。アイロンをかけながらそんな結論がでた。いろいろと考えが流れてくるけど、自分の行いは自分へと還る。だから特別なにかをしなくてもいいなぁと。それに自分が可愛いもの。ひどい言葉はそのまま自分へ戻ってくるって思ったら、怖くて口をつぐむ。

 

 

時には傷つき覚悟で言わないといけないこともあるのかもしれないね。難しい…。と、まぁそんな結論になって、ここ数日アタマの中でぐるぐるしていたことは段々としぼんできた。うん、これでいいんだな、わたしは。

 

 

今日も強烈な日差しが待っているらしい。朝からエアコンが活躍中。空調の効いた部屋でこうして過ごせるなんてありがたいことだ。生活を営む環境が整っていることがありがたい。この生活はいろんな支えの上にあるんだな。それを思い出せばアタマの中でぐるぐるしてたものは些末だ。

 

 

誰かに何かを漏らすと、なんだかとても居心地が悪くなる。自分の中がざわざわとする。だから大体のことは自分の中で処理するようにしている。他人への感情とかは特にね。周りからは何を考えているのかわからないように見えるらしい。

 

 

その一方で、感情の変化を表情から読み取る人もいる。そういう人から言わせると、わたしはとてもわかりやすいのだとか。単純ってことか、腹芸が無理なだけか。ある人には複雑怪奇で、別の人には単純明快で。そういうものかもな、と勝手に納得する。

 

 

それぞれとの関係性もあるかもしれない。どこまでココロをオープンにしているか。わたしは誰でも彼でもにオープンにする質ではない。「ココロのシャッターが何枚もあって、めくってもめくってもまだ閉まってる」って言われたことがある。そのとおりだ。

 

 

見せたくないものは誰にでもあるでしょ。この人はOKでもあの人はNG。見せたところで何があるわけでもないけれど。見せたいと思わないから見せない。それ以上の関係性を築きたいと思っていないのだ。

 

 

好き嫌いの感情によるものではないが、却って誤解を招くこともある。人は自分のものさし(価値観)で相手を見るからね。

 

 

人が集まるところは苦手だ。親族が集まるのも抵抗がある。参加辞退するにの「ワクチン未接種」はとても都合の良い口実だ。それが目的で未接種なわけではないが。むやみやたらに人に合わせなくてすむから楽だ。

 

 

それでもつながりが続くなら、そういう縁なのだろうし。それで終わるならそれまでで。うん、なるようになっているんだな。