わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

幸せを感じられるレシピ〜魔法のことば「ゆるし」〜



正月休みで曜日と日にちの感覚がだいぶ鈍っていますが、今日は日曜日です。そろそろ通常モードに戻す準備をしないとですね。昨日、初詣へ行ってきました。といってもお守りを頂いてきただけで、お参りは改めて行きます。例年より随分短いものでしたが行列ですし。。。慌てなくてもいいですし。




3日ぶりに外に出たら、すごく気持ちよくて。カラダもなまっていたから、ちょうど良かった。でね。そういった日常がとてもありがたくて幸せだと感じます。お茶を飲みながら好きな本を読んだり、楽器を弾いたり、こうしてブログを書いたりできる。自由に歩ける足があって、行きたいところへ行ける。




十分に与えられているなぁと感じられたら、それだけでもう幸せで。一体何の不足があろうか。って思います。ちょっとノーテンキなのかもしれませんね。ことばを変えれば、少ないエネルギー消費で幸せを感じられる省エネエコ体質。




そりゃぁ、いらいらしたり、腹立たしいとか、ココロに波風が立つことだってあります。そういう時は大体自分の都合を相手に押し付けていたり、どうしようもないことをコントロールしようとしている時です。自分を押し通そうとするほどのことじゃないってわかれば、大抵はすぐ収まります。大抵は。




そうじゃない時は、執着しているんですよね。人だったりモノだったり、いろいろありますが。自分が思っている以上に執着している。執着しているってわかれば、魔法のことばを使うんです。そうすると、段々と執着も薄くなって、一時的なことだと理解していつの間にか手放せます。




万人に効果あることばじゃないですけれど。それができなくて困っている人は多いでしょうし、必要だと気づいていないこともあります。即効性もありませんしね。風邪とか病気もそうですが、悪くなるのは早いけど治るには時間がかかるんです。




長年ずっと執着してきたことならなおさらです。執着することが問題ではありません。執着をジャッジメントすることが問題なのです。人は知らずしらずのうちにいろんなことをジャッジメントします。それは、生きていく上で必要な能力ですが、時として必要のないものまでジャッジメントしているのです。




それが窮屈の始まりなのにね。なぁんて、わたしもつい最近までそうでしたし、今も手放す途中です。手放せないものは手放さなくていいし、何よりそんな自分を「ゆるす」ことが大切だと思います。だからね。執着しているならそれを「ゆるす」。「わたしはわたしをゆるします」って自分に言います。





心理学者のアドラー博士は「自分を認めること」を説きましたし、仏教や儒教なども近い思想じゃないかと。これはずっとわたしの根底にある「あるがまま」を大切にしたいという気持ちそのものです。ようやくそれが実践できるようになってきた。ほんの少しですが。いいえ、ほんの少しでも実践できるようになったのです。





ありたい自分と統合しつつあるような、だからこそ足りていると感じるのかもしれません。いや、足りていると感じることが自分との統合そのものなのかも。そして執着していたものの幸せを願えるようになったらなお◎。そんな自分が幸せだと感じられます。