わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)88

 

 

こちらへ移行する前も含めてこのブログの記事が160を超えていて、こんなに長く書き続けられたのは初めてだと感慨深い。わたしのペースでゆっくり、わたしのために書いているから続いているのかもしれない。

 

 

今の住居へ引っ越してから2回めの年越しを迎える。この1年で色んなことがあったが、こうしてまた年越しを迎えられそうだと思うとありがたい気持ちでいっぱいだ。だけど浮足立ってしまわないようにとも思う。

 

 

昨日は冷たい北風が強く吹いた。仕事が終わって一度帰宅してから買い物へ行くのは億劫だぞと思い、帰宅しがてらさっと済ませた。スーパーのお惣菜コーナーに並ぶ商品を見て、クリスマスかぁと思った次第である。

 

 

ツリーも飾り付けも何もしないし、いつもどおりに過ごすのだけれども、ちょっとごちそうは食べたい。これが24日の夕方になれば、割引シールが貼られるのかなと想像してしまう。そして一斉に正月商品に入れ替えられるのは、年末の商機を逃すまいということなのだろう。

 

 

いつもどおりに過ごす身としては、いつものあれがないというのがちょっと残念だったりする。とはいえ、ある程度の買い出しには行って、ゆっくり自宅で過ごす準備はしておきたい。おせち料理もお屠蘇も要らない。お餅も食べないし。

 

 

親族の集まりもなるべく避ける。自分を取り繕ってまでその場に居たいと思わない。余分なエネルギーはわたしにはないのだ。

 

 

あまりじっくりと話す機会がなかった人と仕事で出かけることがあり、今まで見えなかったその人の為人を知る機会に恵まれた。話していることと実際はどうなのかは本人のみぞ知るというところだが、ずいぶんと周りに合わせて自分を削っているのだなと感じた。

 

 

とても感情が豊かで、小学生のようにあからさまにふてくされる表情を見れたのも新鮮だった。それでも、少し落ち着くとあれこれ感情の整理をし始める様子があって、素直さが垣間見える。内省資質があるのだろうなと想像した。

 

 

いつも同じ場所にいると見えないものが見えるので、たまに外へ行くのは大歓迎だ。そんな機会が与えられたのがありがたいと思う。

 

 

あれこれ考えながら文章を打っているけれど、ふと時間を確認するとそんなに経っていないことに気づき、何だかんだ書き続けると早く書けるようにもなるんだなと副産物に驚いた。結果を求めるよりも、こうして一つずつ積み重ねていくことがわたしの性に合っているのだろう。

 

 

世の中は結果が重視されるのかもしれないが、わたしはわたしに合うものを大切にしようと思う。