わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)79

 

 

定期的に購入している通販サイトから、お箸のプレゼントを頂いた。わたしが使うには少し長めの箸だが、飾りのないシンプルなものでとても好みだった。ありがたい。思いもよらないサプライズに人はココロを動かされるのだなと改めて感じた。

 

 

日々を過ごすなかで、生活できるありがたさをふとした瞬間に感じる。わたしが快適に過ごせるようにわたし自身に与えるものがあることがとても嬉しい。特別なことをしなくても、それが叶うのはとても贅沢だ。

 

 

生活していれば、時に腹を立てることや、落胆することもある。それでも。わたしの中で出される答えは、そんなに変わらない。因果応報、自分の行いは自分へ還るのだ。誰かが自分の成したことを曖昧にごまかしたとして、その結果はいずれその人へ還っていく。

 

 

一つの決断が、自分の行いの結果だと気づかないのか、青天の霹靂と評していた。だがその決断を受け入れるのだからどこかで解っているのかもしれないとも思う。わたしが、あれこれ探ることではないから、何も言うことはない。

 

 

それよりも、自分を磨こうと思う。忘れがちだが、はっと気づいてそこへ戻る。他人をどうこう言うならわたしを磨こう。言いたくなることもあるし、実際言ってしまうこともある。それでも、気づいたら戻ろう。

 

 

相手の問題は相手が解決するもの。わたしはそこに構っていられないのだ。快適に過ごすためにわたしはわたしの世話をせっせとするだけ。自分の手入れができないと、色んなところへ影響がでる。このブログも自分の手入れの一環だ。

 

 

そういう時間があること、自ら作っていることがありがたい。ルーティンなものだから、確保もする。何が必要で不要か、自分で決めて自分で行う。それがとても心地よいこと。どうにもならないことがたくさんあっても、その中で自分が決められることがあればそれでいい。

 

 

わたしが、わたしの領分を理解し、それに基づいて動いていれば、大切なガーディアンの役に立つこともあるだろう。何より自分自身のために。わたしが、わたしの道を進むことが、恩返しであり、与えられる恩恵であろう。

 

 

昨日はやたらと食べたせいか、今日は空腹をあまり感じなかったけれど、ようやくお腹が空いてきた。この時間だとブランチだ。きっと美味しく食べられる。食べ物にしても、何をどのように自分に与えるかを考える。選択できるって素敵だ。

 

 

 

さて。手入れに勤しもうか。