わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)89

 

 

晦日である。こうして1年の終わりを穏やかに迎えられることがありがたい。静かに。穏やかに。誰かと集まってわいわいするより、こうしているほうが落ち着くし、心地よい。今朝もいつもと同じような時間に起き出して、同じようにルーティンをこなす。

 

 

帰省者は今年は多いのかもしれない。仕事納めの日、所用で電車に乗ったところ、空港へと向かうのであろうか、ガラガラとキャリーケースを引いて歩く人々を多く見かけた。買い物をしようと出かければ、多くの人出と空調の暖かさに気分が悪くなった。

 

 

さっと済ませて、近所のスーパーへ足を運べば、人の少なさにホッとした。やっぱり人がたくさん集まるところは、必要がなければ行かないほうがわたしには合っている。仕事初めの際に宴会があるらしいが、そちらは辞退しよう。酔っぱらいの相手は御免こうむる。わたしは粛々と仕事がしたい。

 

 

脇目も振らず仕事に邁進するのは、真面目だからではなく、それがわたしの道だからだ。ひとつのことに集中して取り組むゆえに周りが見えなくなってしまうこともある。進みたいのにやたらとブレーキをかけられるとイラッとする。相手からすれば確実であることを確かめたいのだろう。

 

 

何がリスクか人それぞれで。見えているリスクも違う。それを共有できればいいのだろうが、人は意外と自分の価値観が絶対だと思っていたりするので違いが受け入れられないことが多々ある。あとから気づくことが多くて、また同じことをしてしまいがちだ。

 

 

それだけ感情に左右されやすい生き物なのだろう。冷静であろうとすることのほうが難しいのかもしれない。その場ですぐに対応できなくても、時間を置いてあれこれ煮詰めると考えがまとまる。ときには提案もできる。

 

 

ある会合で、相手にこてんぱんに言われたが、まぁ言われても仕方ないことだとその時に感じた。同席した上司はずいぶんとふてくされている様子だったが、なでなでしようものなら余計にこじらせそうだったので少し放っておくことにした。

 

 

その後、帰り道にぽつりぽつりと話しだしたので、やはり感情の整理する時間が必要だったのだろうと思う。わたしもまた考えをまとめるのに時間が必要だった。後日いくつか提案をしておいたら、機嫌も良くなったように見える。

 

 

 

誰かの感情に飲み込まれずにいるのは、なかなか難しいことだ。びゃっとすくみあがって、その後にどう自分をリカバリーできるか?それは経験を積み重ねていくしかないのだろうと思う。