わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)93

 

 

今月中に有給を消化してくれと言われ、はて?そんなに有給消化していなかったかな?と考える。あれか。5日間有給消化させるという働き方改革の。それにしても5日消化していなかったかな?そうかもな。せっかくだし、面倒なことを済ませてしまおう。

 

 

わたしの中で誰かに悪態をつくわたしは、どうして存在するのだろうと考える。抑えようとすると余計に暴れる。その言い分を聞いているとだんだん自分に対する悪態に聞こえてくる。わたしが自分を虐げているような。

 

 

わだかまりがあるのなら、相手と腹を割って話すことをすればいい。悪態をつくことでそれをしない自分に言い訳しているのかもしれない。相手のせいにして自分を正当化している。それでは相手と同じではないか。それを認めたくなくて。あぁ、きっとそう。書きながら納得した。

 

 

このところ自分と向き合う時間が少ないのかもしれない。ちゃんとわたしを見て!とわたしが言っているのだろう。せっかく取得した有給、面倒ごとを片すのと一緒にとことんわたしに付きやってやろうじゃないか。

 

 

ここしばらく寝る前にノートを書くことを辞めていた。それを復活させる。1日の終わりにその時間を設けることで、だいぶ違う気がする。消化しきれないことをできるだけ減らしておこう。ノートに書くという行為はそれを助ける。

 

 

日々色んな情報を望む望まないに関わらず受け取る。それらのおかげでわたしは揺らぐ。揺らぐことでわかることがある。揺らがないことでわかることもある。1日の終わりにその整理をすることでわたしを整える。

 

 

わたしはこまめにチューニングしないと、体調をくずしてしまう。それがわかっていながら目先の欲を優先させてしまうこともある。菜根譚じゃないけど「斉なるとき斉ならざるとき」があることを心得て己を律することだと思う。

 

 

このブログへの記事投稿も隔週になってしまいがちだが、記事を書くことで気づくことがたくさんある。だからできるだけ投稿ペースを一定にしておきたい。もちろん、それを義務とすると苦しくなるから、楽しんで続けられるように。ありがたいことに何だかんだと続いている。

 

 

わたしがわたしへ贈るレシピが綴られているのだ。書いて書きっぱなしで見返すことがあまりないけれど、それでもその時わたしに必要なレシピがここにある。それだけ。今朝は気になっていた洗面台の掃除をしたし、洗濯も始めた。この記事書いたら朝ごはん。

 

 

そしたら面倒ごとにとりかかろう。ありがたいことに朝のチューニングは概ね終わった。