わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)94

 

 

夜明けの時間が早くなった。6時にはだいぶ空が明るい。今朝は北風が強く吹いている。寒く感じる。換気のために窓を開けたがいつもより早く閉めた。服も1枚足して、ようやく暖かく感じられるようになった。

 

 

面倒ごとはあらかた片付いた。今日は最後の仕上げをする。ここまで来れば楽ちんだ。その他手をつけていないことにとりかかろう。こうしてゆっくり記事を書く時間があることがありがたい。あれもこれもと立て込むと優先順位が下がってしまいがちだ。

 

 

それをジャッジしても仕方ない。他に優先したいものがあるのだから。例えば睡眠とか。予定通りにいかないこともある。他に優先事項が発生するのはいつものこと。買い物に行こうかなと考えていても、冷蔵庫の中身を消費してからにしようと思い直したり、あるもので済ませられそうだと思ったり。

 

 

その都度予定を変更するのは、わたしにはナチュラルなこと。行き先さえわかっていれば、最後はそこへ合わせられるようにと調整する。どうしても変更したくないものと、変更OKなものとのバランスを考える。じゃないと苦しくなってしまう。

 

 

こなせなかった予定があることでイライラしたり自分を責めるのはわたしの望むことじゃない。だからできたことを拾い上げる。こんなに色々取り組んだとわかれば、十分だねと自分に言ってやれる。残りはまた予定を組み直せばいい。

 

 

世の流れの速さに辟易して、わざと情報を遮断する。普段から無自覚に情報をキャッチしては精査してエネルギーを消費してしまうので、遮断したり受け流すことが自分を守るための手段となる。耳栓も然り。常に何を受け取るか取捨選択をする。

 

 

受け取らないと決めたら、そこに感情は動かず、淡々と進められる。周りの心情を汲み取ることも必要だろうが、全部に配慮はしないし、むしろ必要ないと切り捨ててしまうことが多い。気持ちはわかるけど、と線を引く。それで注意されることもある。思いやりがないとなじられることもある。

 

 

わたしの中に思いやりがないのではなく、(相手が求めている通りの)思いやりたい気持ちがないだけで。思いやってほしいなら自分で自分に与えれば?と思う。それがきっと面白くないのだろうな。知ったことか。…こういうところなんだろうけど。

 

 

わたしの良さはわたしが知っていればいいし、わかる人がわかればいい。稀有なことだ。人は自分に都合の良いように物事を見る。人も然り。それを訂正しようとするのは面倒だ。「そう見えるのね、じゃあそれは見えていないね」と思うだけ。

 

 

見えないものを見よというのは、多くの人には難しい要求なのだろうか。相手の目線に立つ、相手のものさしで見る。そこには想像力や理解力が必要で。それこそ相手への思いやりの気持ちが伴う。

 

 

さて。ゆっくり朝ごはんを食べよう。