怒りから学んだことについて今日は書きます。
あることについて職場スタッフにヒアリングをしました。じっくり考えたかったのでそれぞれ紙に記載し提出してもらいました。その中のあるスタッフは他力本願といえばいいのか、とにかく与えてもらうことを求めていました。
仕事を自分の思うように進めたいがための「〜していただきたいです」という文言にイラッ。じゃあ、アナタそのために何か工夫したんですかね?「〇〇してもらえない」って言えば周りが何とかしてくれるって思っていますよね?相手にしてほしいことを相手がしやすいような状況を自分で作りましたかね?って沸々と怒りが湧いてきました。
でも、本人は気づいていない。自分本位であることに。あくまでも自分が先にしてもらうことが優先で、相手のために何かをするという発想が見受けられないのです。それはその後にミーティングでも同じで。自分に与えられた仕事でありながら、問題は解決してもらって当たり前な姿勢。お膳立てしないと仕事ができないんでしょうか。。。
…ってまぁ、わたしひとりで腹を立てていたのですが。ノートにそのことを書いていたら、怒りは怒りのままでいい、寛大じゃなくてもいいじゃないかってふと思ったのです。腹が立つのを抑えつけて、ストレス溜めてまでいい人じゃなくていい。この怒りを認めようじゃないか。怒りがあることをゆるそう。
そしたらね。相手に期待していたんだってわかったのです。わたしの期待と違ったから腹が立ったんだって。じゃあ、それはわたしのミスだ。勝手に期待したわたしの落ち度で、相手のせいじゃない。申し訳なかったな。。。
だから、そういう相手にはそういう仕事を任せないのもひとつの方法だなって。そういう姿勢でもできる別の仕事を任せれば良くて。それで相手が何を思うのかはわからないけれど。人はそれを見限ると言うのかもしれない。