わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)8

 

恥ずかしい話、わたしはいつも誰かに何とかしてもらいたいって思っていました。起業をしたいって思ったときも誰かがお膳立てしてくれるって期待していたんです。でも違った。誰もそんなことしてくれなかった。

 

 

年齢上成人したのはずいぶんと昔なのに、そこでようやく大人の階段を登り始めたようです。自分のことは自分で決めると。それに起業したいと思ったのはその時の環境に不満があったからで、そこから逃げるための口実でしかありませんでした。

 

 

 

自分を満たすことがいつでも先で。だから自分さえ良ければいいって思っていました。でも、起業って生易しいものではない。楽して稼ごうなんて、そんな魔法のような美味しい話はどこにもなくて、すぐ頓挫しました。

 

 

 

言い訳のように聞こえるかもしれませんが、今はそれで良かったと思います。だって何の矜持もなく起業しようとしていたのだもの。所属していた起業のコミュニティでは、(正確には起業というより自分に合うライフスタイルを見つけるところで、そのひとつに起業という選択肢があります)そんなことを学ばせていただきました。

 

 

 

 

今年になって退会したのですが、コミュニティの仲間のコーチングを受けたことも大きかったです。思い返せば、わたしが何かに困っていたり窮している時は何かしら誰かしらが手を差し伸べてくれました。まぁ、それが誰かに何とかしてもらえるっていう驕りにつながっていたのですけれど。

 

 

 

 

だから今は、わたしに手を差し伸べてくれた方々に恩返しをしたくて仕事をしています。それは起業じゃなくてもいいんです。ただ、その方々が幸せであるように願ってわたしができることをするだけです。巡り巡ってその方々へ幸せが届くように。。。

 

 

 

 

わたしは会社の組織が好きじゃないです。自分ひとりの判断で行動できないから。でも。組織にいることでわたしの能力は発揮できることもわかっています。わたしがどう在りたいか、その心持ちひとつで、組織にいようがいまいがどうにでもなることも理解しました。

 

 

 

 

以前正社員登用の打診があったときは、「こんな組織に染まるのは御免被る」とお断りしたのですが、今はどんな状況でもわたしがどうしたいのかがわかっていればいいので、雇用形態なんて関係ないと思えるようになりました。首を切られるときは切られますから。

 

 

 

 

わたしの大切なものをわたしが知っていれば、どうにでもなります。お礼をしたくても音信不通になってしまったり、もう会えなかったりする方々もいらっしゃるのですが、その方々に恥じぬよう、頂いた恩恵をただただお返ししていくだけです。