わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)100

 

 

祝日である。春分の日。翌日が休みだからと昨夜は夜ふかしをした。が、朝はいつもより少し遅いくらいに動き出した。肌寒い。記事を書いたら掃除機をかけよう。青色のパワーストーンが欲しくて、つい先程ポチった。

 

 

自分の目で見て選びたいが、残念ながらお気に入りだった実店舗はなくなってしまった。青、とにかく青色がいい。パワーストーンブレスレットは手元に2本あるからこれ以上増やしたくない気持ちもある。しかしながら、このところずっと青色が気になって仕方なかった。

 

 

時々ネットを検索しては眺めてを繰り返し、とうとうポチってしまった。金運や恋愛、人間関係じゃなくて、自分の道を自分で切り拓くことをサポートするようなものばかり選ぶ。それがわたしの望みだから。

 

 

人間関係は良くしようという気はない。解る人だけに解ってもらえれば僥倖。冷たく突き放されていると思われているだろうけれど。誰彼構わず仲良くしたいと思っていない。ある程度の距離が保たれていればいいかな。それがわたしの生存戦略

 

 

きっと関係を深めるのが怖いのだろうと思う。余計な依存やトラブルに巻き込まれて自分の時間をそこにあてがうのがとてつもなく嫌だ。わたしがそうしたいと思う相手は少ない。たやすくココロを開く気はないし、近寄ってほしくない。

 

 

面倒なんだろう。甘ったれかもしれない。それでも嫌だという気持ちはないがしろにしたくなくて。刃のようになっているかもしれないが、まるくなるのはまだ先。たくさん経験していくのだもの。これからも。この先も。

 

 

思う。わたしはどうしてこんなにも他者にうつる自分の姿が気になるのか。わたしをどう思うか、相手が決めること。頭ではわかっているのだけどねぇ。腑に落ちるまで時間がかかるのかもしれない。

 

 

時々会話の中で、その人がその人自身に話しているように聞こえることがある。そういう時、わたしは相手の鏡になっているのかもしれない。わたしも相手に話しているようで自分へ話していると感じることがある。

 

 

わたしがわたしの話を聞かないから、代わりに聞いてほしくてそうしているように感じる。難しい。難しい。あれこれ考えてしまうから難しくなる。流してしまえ。流してしまえば自然とシンプルになる。できなかったら、できないと流す。

 

 

今日は祝日だ。ゆっくり過ごそう。あれもこれもと望むけど、必要なものは必要な形で必要な時に与えられる。だから大丈夫。