わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)101

 

 

雨だ。今週は予報どおり雨の1週間だった。潤いだ。暖かさもあって、桜があっという間に満開になった。朝窓を開けて、部屋のなかにこもった熱がおさまると、ちょうどよい空気になった。ありがたい。

 

 

このブログも記事が180になった。よもやま話も101だ。ゆるく自分のペースで書いているから続けられているのだろう。誰かに読んでもらうためではなく、わたしのアウトプットのために書いているのも大きい。

 

 

わたしはたぶん、あまり周りを気にしていないかもしれない。悪意とか妬み僻みとか、もちろんわたしの中にあるけども、多くない気がする。誰が周りにどう思われているのかという話をちらりと耳にして、そういう視点があるんだなと思ったくらいで。

 

 

わたしはそんなふうに見ていなかったから、見方がかわるとこうも違うんだなと感心した。わたしの印象は、仕事熱心で曲がったことが嫌いな人なのだが、周りは問題児扱いだという。「周り」が具体的に誰かまでは知らないが。

 

 

スタッフ同士のぶつかり合い、意見の食い違いがあるだけでそんなに嫌悪するものなのかと思った。週に1回だけの職場だから深入りすることもないし、余計な情報が入ってこないから気楽に仕事ができてありがたいなと感じる。

 

 

わたしも陰で色々言われているのかもしれない。でもなんだろう。なんとも感じない。陰でコソコソ言うような人と親しくしたいと思わないし。ピッと線を引いて距離を置いておく。それに悪意や妬み僻みは人の性だ。

 

 

それをどう扱うか、が品格の違いなのかもしれない。悪意や妬み僻みにまみれていると知っている人、それがゆるせない人。色々だ。

 

 

今、お腹の真ん中があったかい。エネルギーに満ちているような感じがする。わたしは泥の中にいるのだと受け容れたら、だいぶ落ち着けるようになった気がする。他人同士の会話に逐一反応していることがしんどいと感じるが、その一方で反応しているなと冷静に自分を見る自分がいる。

 

 

反応している、とただ知るだけで次にどうするかを選択できる。そのままそこに耳を傾け続けるのか、他に取り組むのか。わたしは今、何をするのか?何をしたいのか?自分に問いかける。

 

 

馴れ合うためにそこに居るのではない。仕事をするために居るのだ。わたしの務めを果たせ。