わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)103

 

 

3週間ぶり?に記事を更新する。連休の後半はゆっくり過ごせそう。ありがたい。今日も爽やかな陽気になりそうであれこれと溜まっているものを一つでも片付けられればいいなと思う。記事を書く前に、シュレッダーゴミをやっつけ、しまう書類を所定の場所へ片付けて。それだけですっきり気分になる。

 

 

新年度スタートして、あちこちから聞こえてくるいろんな話が、煩わしいと感じる。わたしは、自分のことに取り組もうと思うが、その内容に逐一反応している自分がいる。気分転換になるようなことを探し、その場から離れたりと自分にできることをしている。

 

 

家でもあれこれ出来事を反芻しては、そこに時間を使うのもったいないと思ったり。面白そうな投稿小説を読み漁って時間を忘れて過ごす。ゆっくりお風呂に浸かったり、徒歩通勤でひたすら自分の足の動きを感じてみたり。

 

 

結局は、それを引き受けるのは誰かということで。受け取る必要がないもの、わたしがなにか対応をしないとまずいものでなければ、流してしまうことだと結論づける。そこに気づくまで、あれこれ考えを巡らせている。

 

 

誰だどうとか、分析してみたり、勝手に行動や言動を想像していたり。でもそれはわたしが想像しているだけのことで、実際に相手がそのとおりかどうかは別の話だ。ようやくそこにたどり着いたら、想像するのを止められる。そこまでに時間がかかるが、その時間はわたしに必要なプロセスなのかもしれない。

 

 

頭の中で1日の流れを大まかに組み立てて、状況によっては入れ替えたり、組み直したりして、だいたいここまでできればOKというラインを作る。順序はともかく、何をどこまで終わらせるかが達成できれば良い。そして、いつも概ねそのとおりに終えることができる。

 

 

夕方になるとエネルギーが切れてくるから、それに応じた内容のものに取り組む。全体の状況を見て問題ないよう余白を持って進めているからできることかもしれない。進め方は人それぞれで、良し悪しはない。その人の価値観がそうさせる。

 

 

ただ何となく言われるがままに取り組みアップアップしている人もいるし、内容に追われすぎている人もいる。それはその人達の問題だから、わたしがどうこうすることじゃない。踏み込んで関わることもない。相手がそれを望み、わたしが応じると決めなければ。

 

 

近寄りたくない人もいる。相手はわたしに顔を見せてほしいらしいが。わたしと連絡が取れないといって周囲の人を使ってわたしを動かそうとする。何をもって連絡が取れないと周りに言っているのかわからいが、少なくとも相手から来た連絡内容には返信をしている。

 

 

来てほしいなら直接そう言えばいいし、だからと言ってわたしが応じるかは別で。応じていないからそういう手段を取るのだろう。他にかまってくれる人がいるのだからそちらに行ってくれと思う。近寄りたくないのだ。とにかく。別段仲良くしたいと思っていないし、できるだけそっとしておいてほしい。

 

 

お腹が空いてきた。ゆっくり朝ごはんを食べよう。今日は天気が良さそうだし、布団干しができるといいな。掃除もさっと。