わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)109

 

 

暑い。じっとしていても汗が垂れる。アスファルからの熱気、まとわりつく湿気、サウナの中にいるような熱がこもった感じが苦手だ。自分の熱が発散できず汗が流れても気化されず熱感が続く。いかん、これ熱中症手前。

 

 

日焼け止めを塗っても肌がピリピリとする。それだけ紫外線が強いのか。少し焼けている。出かけるなら早朝か夜か、そんな状況だ。

 

 

休日出勤をして、滞っていたものを少し片付けた。わたし以外の人はおらず、電話もインターホンも鳴らないから集中してできる。終業時間を過ぎて残るよりは、休日出勤をしたほうがわたしのパフォーマンスは保たれる。

 

 

夕方以降はエネルギーが残り少ないし、この暑さの中帰宅する余力を残す必要がある。帰ってから食事をするにもエネルギーがいる。就寝時間が遅くなると翌朝に響く。エンジンがかかりにくい状態でその日はずっとしんどい。

 

 

余程のことがない限り、休日出勤はしない。年に1~2回くらいだろうか。あとは大体時間内に終わらせるように段取りしている。前日または当日朝の時点で何をどこまで進めるか決めておく。状況によって優先順位を入れ替えたり、翌日以降に持ち越したりする。

 

 

そうして取り組むと、大体予定通りに終わる。素晴らしい!と心の中で自画自賛しつつ何食わぬ顔で退勤する。消化不良で終わることが少ない。

 

 

ところで。信頼できる人の要件って何だろう?と考えた。それぞれ人によって基準は違うだろう。わたしにとって信頼できる人とは?言動に行動が伴っている人だろうか。約束を守るとか。行動の目的(終着点)が明確な人。使命を持っている人。ブレが少ない人。

 

 

書き出して思った。これはわたしの「ありたい」を投影しているのかもしれない。そうじゃない人にはイラ立つし、距離を置く。それは、わたしの見たくない・受け入れ難い姿だから。そうならないように自分を律するようにしている。

 

 

でも、それはその人のあり方で、わたしはわたしのあり方を大切にすればいい。それぞれに事情があるのだ。誰かがわたしを信頼したとして、ありがたいことと受け止め、でもそこにあぐらをかくことのないようにしていきたい。

 

 

信頼は期待と似ている。期待するのは自由だ。期待どおりじゃなかったと腹を立てるのは筋が違う。期待したのは自分であって、相手ではないのだから。信頼できないと思うのは、相手が自分の期待したとおりじゃないから。ということは、わたしは相手にこうあってほしいという期待をしているのだな。

 

 

それがわかればよし。今日はここまで。