わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)18

 

 

秋の爽やかさを通り越していきなり冬が近づいたような陽気。北風が冷たい。さっきまで上司へのメールを書いてた。文章を考えながら書くので時間がかかる。適切な言葉をいつも考える。




どうしたら相手に伝わりやすくなるのか、どの言葉を選べばいいか。漢字の使い方、改行のタイミングなど考えるとどうしても。そして送信したあとはヘトヘトになって。今もエネルギー使ったなぁと感じながら書いてる。

 

 

 

 

職場で人間関係で波風があるのは通常のこと。でも、すべてに自分が関わる必要がないって思った。自分が関われないこと、関わりづらいことは助けてもらえばいいんだって。Aさんの悩みをBさんが聞いてくれるなら、Bさんにお任せしよう。

 

 

 

その代わりわたしにできることを精一杯やればいい。Bさんの話を聴くことかもしれないし、フォローすることかもしれない。ひょんなことが還元につながることだってあるだろうし。そしてね、誰も見ていないところの行いこそわたしの「あり方」を問われているんだって感じた。

 

 

 

 

あの人がわたしの見えないところで何をして何を言っても、それはあの人のあり方だからわたしが関与することじゃない。同じようにわたしも問われているんだってハッとして。この前、身内Aの洗濯物を床に投げ捨てたのはおそらく身内B。


 

 


Aの洗濯物は、無造作に投げ捨てたであろうBそのものだ。Bは不平不満が多い。何かにつけて文句を言う。それはBが無造作に投げ捨てた洗濯物のように自分を扱っているから。Bは気づいていないけれど。Bが投げ捨てた洗濯物からその時のBのいら立ちが伝わってくるようだった。

 

 

 

 

洗濯物をそのままにしたらBのいら立ちもそのまま残るように感じて、そっと移動させた。テレビや動画、ネット記事もリアルの人も、接するとそこで何らかの想いに触れる。いろんなことがあるってわかるけれど、想いが多すぎて疲れる。

 

 

 

 

もっとシンプルでいいのになぁって。だからわたしはシンプルでいたい。疲れたなら疲れたで、複雑なら複雑で、こんがらがるならこんがらがるでいいや。わたしがそうしたいのならそのままにしとこう。複雑を単純にすることもこんがらがるをほどくのもしなくていいや。

 

 

 

 

すぐね、反応して抗おうとしてしまう。あぁそっか。気づく練習をすればいいんだね。抗おうとしてるって気づけば、修正できるからね。

 

 

 

 

今日は買い物に出かけて、途中仮装した集団に遭遇したけど、ハロウィンって来週だよね?先取りしてるのかな。選挙の投票日と被るから?それともイベントも分散化されているのかな。その日に祝うから意味があるように思うけど、楽しめれば何でもいいのかもね。