わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)121

 

 

買い物がてら外に出て、カラリとした空気と爽やかな風を感じ、見上げた先にある青空を見たら、それまでモヤりとしていたことがどうでもいいと思えた。そもそもわたしがどうこうできることじゃなかった。わたしがわたしに何を与えたいか、それだけを考えて行動すればいい。

 

 

今朝は朝から雨が降っている。雨音をBGMにしたくて窓を開けた。足元にひんやりとした空気が伝ってくる。この季節のそういったものが好きだ。金木犀の香りも漂い始めた。周りはトイレの芳香剤の匂いだと言って嫌がったが、わたしは金木犀の香りが好きだ。漂ってくる香りに気づく度に、やっぱり好きと思う。何度でも。

 

 

暇なんだろうな、と思う。他人のことに目が行ったり、あれこれ勝手に考えを巡らせているのは。そして自分のことが疎かになってる。わかっているのにそちらへ向かうのは、自分と向き合うことが怖いからなのだろうか?向き合いたくないものから目を反らしているのかもしれない。

 

 

わたしの中の認めたくないものを他人に映しているだけかもしれない。まずはそこに気づいたのでOKとしよう。わたしがわたしと向き合う機会が与えられたのだと思えばいい。相手を排除したいと思っているのは、わたし。これ以上一緒に仕事をしたくないと思っている。

 

 

でもそれはわたしの都合でしかなくて、他の人や職場としての都合とはまた異なる。わたしの都合を押し通すことは必要ない。わたしが、わたしの気持ちをしっかりがっつり理解してケアしていけばいい。それだけのこと。否定も肯定もなく、ただあるがままを大切にしたい。

 

 

雨がそんなモヤりとしたものを一緒に流してくれているよう。だから雨音は好き。今日が雨で良かったと思う。自分の調整がスムーズに進む。もちろん快晴でも曇でも、どんな天気であっても大丈夫だけど。今日が雨だから今日のわたしが整う感じ。

 

 

雨音を聴くと、今はもう行けない、行かない場所のことを思い出す。森の中の古い小さな家。あの場所は今でもわたしの中で大きな影響を持っているみたい。帰りたいと思う。物理的には難しいけど、ココロの中を通してならいつでも瞬時に行ける。過去も未来もなく、ただそこにある。わたしだけが知っているわたしの秘密の場所。

 

 

誰にでも自分をオープンにすることはしない。できない。したくない。知人いわく、わたしの中には何層もシャッターがあるらしい。開けても開けてもシャッターがあると言われた。確かに、と思った。どの人にどれだけシャッターを開けるか、とても慎重に選んでいる自覚はある。

 

 

シャッターが全く開いてないからといって、その人と付き合いたくないとか、その人を否定しているわけではない。わたしにとってそれがその人との心地よい距離の取り方なのだ。わたしの変化に合わせてシャッターが開いたり、また固く閉ざされたりする。

 

 

わたしのシャッターがいつでも何層も開いている相手はそう居ない気がする。全部開いているなんてことはまずない。わたしだけがわたしに全部開いてる。開けてくれって頼まれても、わたしがそうしたいと思えなければ、開かない。開きようがない。

 

 

それ故に誤解されやすかったりするのだろうけど、解る人だけ解ればいいと思っている。曇りのないフィルターでわたしを見る人はめったに居ないから。わたしもまた、曇りのないフィルターで相手を見れればいいと思う。