わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)138

 

 

今日は立春。今季は春のような暖かい日が多く、梅があちこちで開花しているのを見る。風は冷たいが陽射しの暖かさにほっとする。

 

 

服を新しく購入し、古いものを処分した。すり切れた服はインナーといえどもいつまでも着たいものではない。とはいえ数年大事に着たので充分役割は果たしてくれた。ヨレヨレだったり摩擦で穴が空いてしまったカーディガンも買い替えた。リサイクルに出せるものは洗濯しておく。コートも今季が終わったら買い替えないと。リュックとの摩擦がある箇所は随分とヘタっている。軽くてふわもこなアウターはそこが難点だと思う。

 

 

替えようと思って数ヶ月経ってしまったが靴もようやく1足買い替えた。中のソールがヘタっているので残りの靴も来月あたりには新調したい。少しずつ整えていこう。

 

 

美容院にも行ってきた。ちらほらと見える白髪をカモフラージュするため明るく髪色を染めてもらった。髪色はグレーにしたいと伝えてあり、最終的にグレーに近づけてくれうよう担当美容師さんは段階を踏んで対応してくれている。いきなり明るくすると髪の毛の負担も大きいらしい。回数を重ねることでリピートにつながるという理由もあるだろうと勝手に思っている。大まかな要望を伝えればあとは似合うように良くしてくれるので、大変ありがたい。

 

 

 

そろそろ本格的に契約更新について考えてほしいと言われ、どれだけ通るのかわからないが、先日希望を伝えた。いくら待遇を良くされても譲れないものがある。わたしの根幹に関わることだ。仕事は人生の通過点であり、目的地ではない、と思っている。周りがどう思おうと、わたしは充分に尽くした。

 

 

人として替えが利かないのは当然として、仕事は替えが利くようにしたいとポロリと言ったら、理想はそうだと上司から返ってきた。仕事の仕組みをシステマティックにすることで誰が携わっても同じようにできることは会社としてメリットが大きいが、現状は属人的になっている。この会社は遅れてるんだよ、と。小規模だからそれでも保っていられるのだろう。

 

 

働く人たちが経営者、現場、事務方などそれぞれの立場の目線を持てたらいいのだが、現実はそうじゃない。だいたいの人は自分の立場、目線で物ごとを考え、行動する。仕事をシステマティックにしても、「この人にお願いしたい」「この人だから安心できる」という感情はあるだろう。個人的な感情はどうしても色々なできごとに結びつきがちだ。

 

 

感情を切り離して物ごとを見れる人は少ないのかもしれない。時にはそれが「冷たい」「配慮が足りない」と他者に映ることもある。見ているもの、目線が違うだけなのに。けど目線の違いが距離を作り、人を隔てる。隔たりは互いが望めが崩すこともできよう。多くの人はよほどの信頼がなければ、それを自分を脅かすものと恐れ拒否する。だから信頼って貴重で大切だ。