わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)139

 

 

しもやけができた。この時季恒例のイベントだ。複数の足指が赤く腫れてしまって時々痛痒い。靴下の中で汗と反応して悪化した経験から薬はあまり塗らない。冷やさないようにしたりマッサージしたりして自然治癒を待つ。歩いて足先の血行を良くしているつもりだけど、冷たいままだったり温まるのに時間がかかる。そしてすぐ冷たくなる。うまく付き合っていくしかないね。

 

 

仕事で何をどこから手を付けたらいいのかわからない状態になってしまった。分解しようにもどこからがいいのかわからず、あちこち手を付けては途中で止まってしまって、途方にくれている。1つずつ解決していくしかない。ってわかっているのだけど、周りの状況と比べてしまって焦っていることが余計にそうさせている。

 

 

そこに加えてとあるマニュアルが明文化されていないことが発覚し、そのまま放っておくことができず作りたいと申し出た。誰も作ろうとしない。言われれば取り組むだろうが、言われなければそのままだ。自分たちのことなのに困らないのかなぁ。誰かがやってくれるだろうとか、なければ無いで構わないとか、作ることに時間と労力を割きたくないとか、そんな意識なのかもしれない。

 

 

言い出した以上ササッとある程度作成してある。内容の加筆修正は周りに依頼して、レイアウトを整えればいいだけの状態にした。こういうものは早く整えるに限る。同じことが起きた時に右往左往することなく対応するためのものだ。また同じことを起こさないようにするためでもある。何かやらかしたとして、口だけの反省をして態度を改めないのはその人の自由だし、その結果はその人が引き受ける。

 

 

また、職場で起きたことを「個人の問題」としてしまうと、改善につながらない。職場で起きたことは職場の問題、組織の問題。なのに誰もがどこか他人事。自分に火の粉が降りかからなければいいのだろう。人はみな、自分のことを守るのに必死だ。わたし1人で一生懸命になったところで大した成果はないだろうが、それでもわたしは必要だと思うから取り組む。成果が重要なのではない。

 

 

件のマニュアルは安全管理上必要不可欠で、ないとなれば労基署を始めとするお役所から職場の体制を糾弾され強い指導が入るであろう代物。なのに。事故が起きてなお、「マニュアルがない」と言って必要な手順を蔑ろにして表面上の対応だけで済ませてしまおうとしているのは、看過できない。

 

 

そこまで首を突っ込むこともなかろうと自分でも思う。その行為の結果を引き受けるのは当人とそれを良しとした組織である。そこはどうでもいい。が、この先同じようなことが起きたときに困る人がいないようにしたいっていう強い想いがわたしを動かしている。そこは信念と呼んでいいのかもしれない。