わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)143

 

 

今朝は手がかじかむ寒さ。3月入ってから10日経つ。あっという間だなぁと思う。仕事の方は佳境に入って、今あれこれと最後の詰めの段階に近づいている。とはいえ、ひとつやっては1つ躓き修正してまた違うとこで躓いて…を繰り返している。大変だとは思うが、辛くはない。修正するたびにシステムのことを理解できる。だから今は沢山間違えることだと思う。

 

 

わたしが理解しても、次に引き継ぐ人がわかってないと意味はない気がする。けど、自分がどれだけ理解しているかによって教えられることが変わってくるだろうから、これでいいのかもしれない。

 

 

時々思う。どんなに自分が気に入らなくても、誰かにとっては大切だったり仲良くしたい相手だったりするわけで。どんなに鬱陶しいと思っても組織や社会を構成する一員であるから、わたしの勝手な一存でどうこうするのは違う。自分の感情は切り離して考える。わたしから見たら何で?なことも、能力を発揮するフィールドが違うだけで、組織や社会として成り立つための必要な要素なのだろう。目には目の、耳には耳の役割がある。

 

 

だから役に立つとか気にしなくていい気がする。存在するだけで役に立っている。ただ、目に見えてわかるものでない(実感ができない)から人は苦しむ。一方的な「良かれ」を行うことで誰かの不興を買ってしまい、だけど、受け入れてもらえなかったと自分で自分を苦しめる。本人は自分の「良かれ」が一方的なものだと思いもしないのだろう。悪循環だなぁ。けどそれは本人が乗り越える課題だ。

 

 

誰かを貶めることも然り。自分に起きたことを周りのせいにしていれば、いつまで経ってもその状況は変わらない。自分の行いの結果であるにもかかわらず、自分は認めてもらえないと嘆く。めんどくさいなぁ。むしろ嘆きたいから、自分を憐れみたいからそういう環境を作るのかもしれない。そうやって人は自分を慰めているのかな。

 

 

英語学習は今のところ続けられている。まだ簡単なセクションだしね。aとtheが抜けやすい。どういう時に付けるのか、まだよくわかっていない。発音も聞きわけが難しいものがある。練習していくだけだね。仕事と同じ。間違いを修正するのを繰り返して身についていくのだろう。心なしか、前より聞き取りができるようになった気がする。気がするだけ。

 

 

何でもそうだけど、いきなり目的地へ到着できない。いろんなプロセスを経るからより深い目的地へと到着できるのだろう。

 

 

さて。今日は天気が良さそうなので布団を洗おうか。シーツも洗いたい。レジンもしたい。したいこと沢山。わたしの望みを1つずつかなえていこう。