わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)22

 

 

すべてはめぐり合わせの賜物なんだろうな。とつくづく思う。先日不動産屋で物件の内覧をさせてもらったが、図面上のことと実際に目にして感じるものはやはり違っている。いいなと思って見ても、実際に目にすると何か違う。

 

 

 

それで別の物件を紹介してもらったら、そちらがいいと気に入ったり。担当者は何気ない会話から客に最良であろう物件を提案する天性の能力があるように感じた。客が言葉にしていないニーズを察する力があるのだろう。人を見抜くというのかな。

 

 

 

不動産屋にはいろんな人が訪れるであろうから、鍛えられるのもあるだろうけれど。それは学校の成績と関係なく、その人が生まれ持っている能力であったり、成長の過程で培われたもののように感じる。

 

 

 

わたしが親族が春に転居してくるのを嫌だと感じて物件探しを始めたのも、なんとなしに「行ってみよう」と決めた不動産も、そこで会った担当者も、紹介された物件もめぐり合わせだな。めぐり合わせで成り立っている。そのめぐり合わせの流れに任せてただ進むだけ。

 

 

 

動き始めるまでは抵抗がある。マイナスな面を不安に思うから動くことをためらう。でもそれがマイナスになるかどうかは実際にやってみないとわからない。どうにもたち行かなくなるかもしれないし、想像通りじゃなくてもなんとかなるかもしれない。

 

 

 

それに動いてみると周りからの抵抗はなかったりする。抵抗を創っているのは自分なだけで。中には否定から入る人もいる。でもそれはいつものことだし、その人が変化を怖れているだけ。変化は怖い。

 

 

 

 

それに怖さを克服することはない。怖いんだなってわかっていればいい。怖いと感じるのもまたわたしだ。その気持ちを尊重しつつも、わたしにはわたしがいるのだから進もう。わたしはいつでもわたしのすべてをゆるすし、いつでも共にあるから。

 

 

 

 

動き始めたことで、浮き足立つわたしがいる。でもこうして自分とつながる時間を持つことで冷静さを取り戻して。またすぐ浮いちゃうんだけどね。それがわかっているからまだいい。気づかないままだと暴走しちゃうから。

 

 

 

 

浮き足立つからこそ、こういう時間を持つことが大切でもある。毎日いろいろ起こるから、やはり1日の終わりには自分を落ち着かせることが必要。わたしには。今日は曇りがちで少し空気がひんやりするが却って気分を落ち着かせてくれる。

 

 

 

 

慌てなくて大丈夫。すべてを一度に済ますこともない。少しずつ進めていこう。なるようになっているのだからね。なんというかいつも恵まれている。ありがたいこと。