わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

怒りの影にある大切にしたいもの

 

このところ曇りがちな天気でしたが、今日は朝から快晴。洗濯物が乾くのでありがたいです。その分気温も上昇するようですが。

 

 

 

今日はわたしの中にある「怒り」について書いていきます。わたしの中に「怒り」があるとの認識が今までありませんでした。でも、この前これは「怒り」だ、と気づいたのです。COVID-19のワクチン接種が話題にならない日はありません。以前も書いていますが、COVID-19に対する人々の反応に違和感があるのです。

 

 

 

ニュースや色々な人の話を見聞きしていると、ヒトは人だけで生きているような、ヒトだけが良ければそこにどんな犠牲があっても構わない、そんんなことを感じます。わたしたちは、ヒトだけで生きているわけではなく、多くの生き物の助けを借りています。

 

 

 

そこに対する感謝と敬いの気持ちが欠けているように感じてならないのです。それがわたしの「怒り」です。でもね。そこに気づいたら、こうも思いました。他の誰かのことなんでどうでもいい。わたしがそう感じているのだから、わたしがそうすればいい。

 

 

 

ヒトだけではなく、多くの生き物のおかげでこうして今がある。その気持ちを持っているのはわたしだから、わたしがそれを大切にすればいいってね。

 

 

 

ヒトは今あるものを失うのが怖いのです。社会的な立場、環境、自分を失うのが怖い。COVID-19はそれを突きつけてきたように感じるから、過敏に反応しているのです。うん、でも失う。失うんだよ。いずれね。

 

 

 

ヒトはヒトであろうとするから難儀するのです。それを渇愛とか執着って表現する。それがヒトたるものなのかもしれません。こんなことを考えているわたしのほうがおかしいのかもしれませんが、でも、それでいい。

 

 

 

わたしがそう思うのだから。それに従っていこうと思います。「怒り」の影には、大切にしたいものがある。大切にしたいものが大切にされていないから「怒り」として現れるのでしょう。自分が大切にできないから、代わりに周りに大切にしてもらいたいと求めるのです。

 

 

 

でも、大切にしたいのはわたしだから、周りにそれを求めるのではなく、わたしに求めよう。それだけのことです。ひとつひとつの気づきを積み重ねて、進んでいけることがとてもありがたいです。ゆっくりだったとしても、それがわたしのペース。