わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)20

 

 

急なことにスタッフが1名退職した。いろんな都合が合わさってそういう結果になったのだけれど、これで良かったのかな?とどこかで思う。他に方法はなかったかな?とか。でも、本人もそれを望んだのだろう。上司に後押しされて決めたようだ。

 

 

 

 

誰かに後押しされないと決められないんだぁって感じたが、上司もまた同じようなところがある。そしてわたしもそんなところがあるのかも知れない。親族が進学のために春から住みたいと打診をしてきたとのこと。

 

 

 

 

家族は2つ返事で了承したようで、でもわたしにはとんでもないことだ。家族にとってはわたしもその親族も同列なのだろうが、プライベートを脅かされると感じるといてもたってもいられない。親族自身に何の感情もないが、同じ空間で寝起きを共にするのは非常に抵抗がある。

 

 

 

 

今でもトイレとお風呂以外にプライバシーがなく苦痛なのに輪をかけるように親族がやってくる。その話を聞いたとたん、「逃げろ!逃げなきゃ!」とココロで叫んだ。いずれこの家を出る必要はあるだろうとわかっていたので、これはそういうタイミングなのかも。

 

 

 

 

家を出たあとのデメリットを気にして行動に移せなかったのは事実だし。生活がどうなるかは実際に体験してみないとわからないし、まずはやってみようと決めた。親族の転居が後押しになったのだから、見えないところでわたしはいつも誰かに助けられているのだとつくづく感じる。

 

 

 

 

そう決めたら行動は早い。いつまでに引っ越しをするか?予算は?物件の条件は?などを頭に思い描いてネットで検索。いくら検索しても実際に見てみないとわからないな、と次の行動へ。あぁ、わたしは肚が決まったら早い。そしてあまり迷いがない。って実感した。

 

 

 

 

誰かにも「迷いがない」と言われたが、それはこういうことか。わたしはわたしの選んだ道をただ進んでいる。そこに納得があるから迷いがないと言われるのだろう。どんな結果でも構わないのだから。

 

 

 

 

そしてね。自分に難しいことは誰かの手を借りていいのだ。借りた分、直接でなくても返せばいい。貸していただいたことに感謝して、周りに返していけばいいのだ。人の世は難儀だけれど、難儀にするしないは自分で選択できる。これを奇跡と呼ぶのかもね。